10月25日越後遠征&狼煙プロジェクト(新潟県南魚沼市・長岡市)2008年10月29日 00時59分54秒

浦佐城の狼煙を実城から見た様子
土曜日は新潟へ行ってきました。当初の予定ではいわゆる「天地人」の関係で坂戸城に登りたかったのですが、25日にちょうど「にいがた狼煙プロジェクト」という新潟県全域で狼煙を繋ぐイベントが行われるということで、坂戸城周辺の上田庄では10時~11時にそれが見られるとのこと。「これはぜひ山の上で見なければ」と思ったのですが、坂戸城は比高差が470m(標高は634m)ある上に、当日に神奈川から移動して10時までに登るとなるとかなり厳しい日程になることが明らかだった。

当日の早朝、寝坊することなく神奈川を出発し、順調に新潟県へと辿り着いたが、どうも天候が悪くずっと曇ったままであった。しかも、坂戸城の頂上のほうには霧がかかってる状態で、ハイペースで登った上に狼煙が見れないことになったら悲惨なため、今回は坂戸城は諦めることにした。

というわけで、代わりに狼煙が見れる短時間で登れそうな城山を周囲から探したところ、浦佐駅のすぐ側に標高300m級の浦佐城があるのに気づいた。さっそく浦佐に向うと、駅前から正面に見える山の上にノボリが何本か見え、山の上の方は開けて大分眺めがが良さそうに見えた。

登り口は知らなかったが、車道の脇に「天地人」や「狼煙プロジェクト」のノボリとともに「浦佐城址薬師様登り口」の標識があり、あっさりと見つかった。とりあえず、登城路を只管登るが、前日の雨で道が濡れていて滑る土の山道は非常に登り辛かった。山登り用のハイキングシューズなので良かったが、たぶん普通の靴なら何度転んだか判らなかっただろう。

城跡は西から東へ延びる山の東端にあり、標高の低い部分から小さな郭がいくつか確認できたが、ある程度登った所で山の中腹を横切る横堀にぶつかった。この横堀から更に上に登ると三の丸で、そこそこ広く土塁のようなものも見え、だんだん本格的な郭が見えてきた。

三の丸の上に見える郭に登ると、どうやらここが「薬師様」らしく、薬師様の祠と稲荷神社があった。位置的にここが二の丸かなと思ったが、二の丸跡の表示は隣の一段高い小さな郭の上にあった。二の丸とさらに上の郭との間には堀切があり、堀切を北に下りた先には腰郭があった。

二の丸から切岸を登れば頂上付近の郭だが、垂直に近い切岸は雨で地盤が緩んでいて登れそうになかったため、一度二の丸から山の斜面の山道?に降りて、そこから本丸を目指した。

途中で地元の方が狼煙の材料を集めていたので、挨拶をして先に進むが、本丸の堀切から登る部分でついに豪快に滑ってしまった。頂上付近は全面的に切岸で簡単に登れそうな部分が堀切の部分しかなく、覚悟を決めてなんとか登るが、滑った所を地元の方に見られたのはなんとも恥ずかしかった。

堀切から登って東側は実城という郭らしく、なかなか広い上に3段階くらいに高さが分かれており、土塁や小さな堀切?の跡なども確認できた。ここからの眺めは中々良く、遠くを見ると既に大崎城や野際城で狼煙が上がってるのが確認できた。残念ながら坂戸城は山は見えるものの狼煙が上がってるのは確認できなかった。たぶん天候が良ければ見えたのだろう。

実城から本丸を見ると地元の方々が大勢集まっていたが、浦佐城の狼煙は難航しているらしくまだ十分に上がっていなかった。そうこうしているうちに浦佐城から真東の桐沢城でも狼煙が上がり、その後にやっと浦佐城でもハッキリした狼煙が上がり、地元の方々の歓声や法螺貝の音が鳴り響いた。なかなか迫力のある狼煙ではあったが、天候が曇りなため、撮影した写真ではハッキリ見えなかったのが残念でならない。

結局浦佐城から確認できた狼煙は北端が大沢城で、南端が野際城だった。地元の方の話では、晴れていれば南側は樺沢城の狼煙まで見えるのだという。実城からの風景を楽しんだ後は、堀切を越えて本丸へと向ったが、本丸ではちょうど地元の方々(浦佐城薬師様の会)が狼煙を上げながら宴会をやっていた。ここでは部外者であるにも関わらず、きのこ汁を恵んでいただき、浦佐に関わるお話も聞くことができた。なんともありがたいことである。

地元の方々の宴会が一通り終わった後は何人かがさらに山の奥に向ったので、遅れて着いて行ってみた。まず本丸の背後には二重堀切があり、これがこの城では最も圧巻な遺構だった。この堀切を越えてさらに奥に行くと山の尾根が続くがあまり削平された様子は無く、少し開いた間隔で堀切が連続しているだけだった。しかも本丸より奥は整備されておらず、地元の方曰く尾根の木々は今日伐ったばっかりだという。地元の方々は山を切り開きながらどんどん奥へ進むが、さすがに堀切を越えるのが辛くなったため、自分は途中で引き返した。

山を降りた後は地元の方に勧められて麓の毘沙門堂(普光寺)を見に行ったが、ここの山門はなかなか立派な上に門の先には回廊が続いており、普通の寺とは違ってなかなか壮観だった。しかも、ここでも地元の方にお茶や名物のハッカをご馳走になってしまった。ちょうど山登りで喉が渇いていたため、なんともありがたかった。

毘沙門堂を見た後はなんとも微妙な午後の時間となっていたため、もうひと山登るのはやめて長岡市へと向った。長岡市に着いた後は日没までやや余裕があったため、市内の蔵王堂城を見に向った。蔵王堂城は長岡城が築かれる前の城で、度々水害に悩まされたため、堀直寄が長岡城を築いて、蔵王堂城から居城を移したのだという。

蔵王堂城は市街地の中にあるため、大半が街に埋もれてしまっていたが、主郭部分の土塁と水堀の一部がしっかりと残っていた。しかも土塁は大きく、意外と城跡の現存部分は整備されており、しかも堀直寄の銅像まで立っているのはなんとも予想外だった。あと、城跡の金峰神社の参道も紅葉と相まってなかなか情緒があって良かった。

日没後は市内のホテルに泊まり、明日に備えた。