7月21日秋田仙北遠征・最終日編(秋田県大仙市・秋田市)2008年07月26日 21時00分57秒

「まほろば中世の館」遠景、背後の丘陵が唐松城跡
3連休最終日も晴天に恵まれたので、角館から大曲経由で、戸沢氏と安東氏の衝突の舞台となった協和町の境へ。目的地は安東氏の最前線の拠点となった唐松城だが、その前に唐松神社へ立ち寄った。

唐松神社は年季の入った杉並木の参道や、なぜか参道より低い場所にある社殿、さらに玉石の積まれた池の真ん中に鎮座する天日宮などなかなか他の神社では見られない光景に出会い、軽く衝撃を覚えた。訪問時はちょうど社殿では何かの集まり?をやっていたので、お参りは天日宮だけで済ませて唐松城へ向った。

唐松城は淀川の蛇行する部分の丘陵の上にあり、現在は麓に「まほろば中世の館」という城館を模した資料館兼能舞台がある。建物自体は遺構とは関係無いものだが、なかなか凝った造りになっている。内部は能舞台となっており、毎年能のイベントをやっているようである。館内の一角には資料館もあるが、唐松城と直接関係ある資料は少なかった。

館内を散策した後は、館のそばの山道から唐松城のある丘陵へ登城を開始した。山道は山の上まで続いており、途中には模擬山門や城の説明石版などもあって整備されてはいるが、あまり人は来ないようで草が伸び放題だった。それでも山頂の手前の郭からは淀川の流れや遠方が見渡せてなかなかの景色だった。また南側には堀切などの遺構もハッキリ確認できた。ただ、城の見所らしい竪掘は、草に覆われてあまりよく見えなかった。また、見学用に竪堀に架かけてあった橋も朽ちて途中から落ちていました・・・危ない危ない。山頂の郭には神社の元宮があり、前述の唐松神社は1673年頃にここから遷宮したのだという。元宮からさらに北にも山道は続き、なにか遺構がありそうだったが、ここでもまたしてもスズメバチと遭遇したため、結局元来た道から下山することにした。

唐松城を出た後は境を後にし、秋田市方面へ。目的地は土崎で、元々予定には無かったが、ちょうど祭りが行われているらしいので、安東氏の居城の湊城跡の訪城も兼ねて祭り見物に向った。土崎に着くとさっそく遠くから祭りの音が聞こえてきたが、まずは湊城跡の散策を開始した。城跡とされる場所はほぼ市街地化で埋もれており、中枢と思われる場所には公園と神社があるが、遺構らしいものはさっぱり確認できなかった。しかも、城の説明板は道路の拡張工事で撤去されたのか見当たらず、神明社の入り口に標柱があることしか確認することはできなかった。それにしても安東三城とも呼ばれた名城も、今では名残すらほとんど無いとはなんとも寂しい限りである。

城跡の散策後は土崎港曳山まつりを見学するため、祭りの掛け声が聞こえる方へ向った。祭り自体はちょうど各町内会が曳山を曳いて練り歩き、さらに曳山の前で踊りを披露しているところで、各町内会ごとに掛け声や踊りも違うためなかなか面白かった。結局、祭りを見ているうちにいつのまにか夕方になっていたため、最終日の旅はここで切り上げて神奈川への帰途についた。

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