8月3日奥羽古城散策更新2008年08月05日 02時22分55秒

奥羽古城散策
http://www.ne.jp/asahi/saso/sai/

今回は関東地方の神奈川県に石垣山城、荒井城を追加し、栃木県の宇都宮城を復元後の城跡に修正した。

石垣のある近世城郭は今では整備や保存されている箇所が多いが、石垣山城は総石垣造りにも関わらず、荒れ果てて散乱した石垣が見れるので、ある意味貴重とも言える。荒井城は遺構が謎な部分が多いのが難点ですが、花見の隠れた名所なのではないのでしょうか。

宇都宮城は晴れて何も無い空間から、復元公園へと大きく変化したため更新しましたが、あの復元状況には複雑な想いを抱かざる得ません(苦笑)

今回はさらに甲信越地方の新潟県に春日山城、枇杷島城、御館を追加。これで奥羽以外は九州編の追加を残すのみ・・・。

春日山城は有名所ですが、その名に恥じず面白いとこでした。御館に関しては何も見所が無いと言わざる得ないです。枇杷島城は河川改修で地形が変わっていたが、当時の縄張りと照らし合わせてみると、それなりに楽しめた。

8月16日~17日帰省から戻る途中の寄り道(岩手県宮古市・盛岡市)2008年08月23日 03時49分10秒

横山八幡の入り口
お盆は本貫地の陸奥国で過ごし、16日に相模国への戻る途中、無償に三陸海岸を通りたくなったので、八戸から久慈を経由して宮古へ。

特に城攻めの予定は無く、それらしい準備もしていなかったのだが、ちょうど市街地の中に事前に城跡と認識していた独立丘陵があったので寄ってみた。

街の中心部でちょうど川の合流地点にある丘陵には、横山八幡宮があり、何気に宮古の名前の発祥となった重要な場所でもあった。平安時代の一条天皇の頃、阿波の鳴門の異変を鎮めた禰宜が、この横山八幡の禰宜であり、その時に詠んだ歌の中から「宮の古し」の部分を採って「宮古」という地名が生まれたという。

八幡宮が勧請されたのが平安時代で、ここが城砦となったのが鎌倉時代頃なので、神社は城郭内に併設されていたことになる。実際にこの丘陵に登ってみると、斜面はかなり急で、確かに要害なことがよくわかる。しかし、遺構は頂上の主郭部分の土塁のような部分程度しか確認できなかった。

横山八幡に寄った後は、あまり長居する時間が無かったため、そのまま盛岡へと向った。

盛岡に着いた頃にはすっかり夜になっていたが、そこから盛岡城跡に向うとちょうど花火の打ち上げが始まったため、城址から花火が終わるまで眺め、その後にホテルへと向った。

翌朝はもう一度、盛岡城址へ向い、夜には確認できなかった石垣の修繕完了箇所(前回に盛岡に来た時は城跡で修繕工事中だった)などを見て周ってから、横浜への帰途についた。