7月14日三連休三陸遠征・その5【船越御所】(岩手県山田町)2013年07月20日 23時49分48秒

宮古市街に戻った後は、朝来た道を戻って南下し、山田町の船越半島付け根にある船越御所跡を訪れた。船越御所は宇津峰城を落とされて奥羽を転戦していた北畠氏が落ち延びた場所で、ここにしばらく滞在した後に浪岡へと向かったとされている。

船越御所と海岸
画像は田の浜方面から海岸越しに見た船越御所跡。海岸が目と鼻の先にある丘陵の上に築かれており、震災時に津波で丘の斜面が洗われた跡が残っている。画像右側にはその時に破壊された堤防が今もそのままになっていた。


堤防から船越御所南端の神社を見る
画像は堤防の上から船越御所の南端部を見た景色。手前は堤防の手すりで、津波で折れ曲がったものだろう。丘陵南端には神社があり、社殿には全く被害が無いが、斜面の中腹あたりから下には爪跡が残っているので、当時どこまで水没したかがよく判る。


破壊された階段
神社に登る場所にはコンクリートの階段があったが、途中が破壊されて完全に消失していた。一応、登れそうだったので社殿のある場所まで登ったが、足場が無くて滑りそうだったり、棘の生えた草があったりと微妙に大変だった。


船越御所内部は・・・
社殿のある場所まで登った後は、船越御所の内部へと突入しようと思ったが、思いのほか笹藪が厚くて入れなかった。神社のある場所以外は斜面が急な上にやはり藪があり、どこから突入しても大変なため、内部に関しては今回は諦めることにした。

7月15日三連休三陸遠征・その6【中館跡】(岩手県花巻市)2013年07月21日 20時43分48秒

三連休の最終日は初日同様に天候が優れなかったため、予定では陸前高田方面に行きたかったが、諦めて釜石線で花巻方面へと移動した。途中、遠野では大雨にぶち当たったが、花巻に着くころにはなぜか青空が見え、どうやら雨は奥羽山脈と北上山地の山間部を中心に降っているようだった。というわけで、このまま帰るのも癪なので駅から比較的近い場所にある未訪城の中館跡を散策することにした。


常楽寺
中館跡は地名に「古舘」として残っており、常楽寺付近ということで道に迷うことは無かったが、肝心の館跡の遺構はほとんど確認できなかった。突発的な訪問のため、下調べをしていなかったの城跡というのも災いしたが、常楽寺の由緒などの説明板も無かったので歴史関連がさっぱり判らなかったのも痛手だった。後から調べた感じでは時宗の他阿真教上人によって開山された寺のようだが、詳しいことはよく判らない。


熊出没注意
余談になるが、周囲で遺構探索中に熊出没注意の看板を見つけた。位置的に山からは離れており、周囲は宅地だらけで雑木林も川沿いと一部に点在するだけのため、とても熊は出るような雰囲気では無かったが、過去にここに出没したことがあったのだろうか?

7月15日三連休遠征・おまけ【多賀城】(宮城県多賀城市)2013年07月23日 02時18分45秒

結局、盆地でも雨が降り出したためこれ以上の散策は止めて帰途についたが、途中の宮城県の多賀城あたりで雨雲が周囲に無くなったため、帰る前に多賀城に寄道していくことにした。

舘前遺跡
画像の小さな丘は国府多賀城駅から見た舘前遺跡。かつての国司の館跡だとされている。


菖蒲と紫陽花
多賀城跡にある菖蒲園は6月中旬が見頃だったはずなので、もう散っていると思ったが、実際は品種によって咲いている花が思いのほか残っているものがあり、今でもギリギリ楽しめるものだった。奥には紫陽花もあり、こちらはちょうど花が見頃となっていた。


外郭南門から内郭へ延びる道
外郭南門跡付近は特に代わり映えしなかったが、南門跡から政庁へと続く大道がいつの間にか整備されていた。ただ、画像の通り普段この道を歩く人が居ないようで、草が伸び放題となって歩きにくかった。


内郭土塀跡
内郭も結構草が伸びたい放題だったが、昔来た時よりもこの辺りは見栄えが良くなっていた。特に土塀跡にあったコンクリートの塊は撤去されたようで、画像のような土塁に置き換えられていた。


多賀城政庁跡
門跡や正殿跡などの建物跡も平面復元されており、以前よりも判り易くなっていたのは良かった。この後、結局日が沈んでしまったため、散策はここで打ち切り再び帰途に戻った。