3月8日奥羽古城散策更新2012年03月09日 01時45分51秒

奥羽古城散策
http://www.ne.jp/asahi/saso/sai/

今回の更新では人物・氏族データに気仙沼熊谷氏を追加しました。熊谷氏は上州の国人で、奥州合戦を契機に本吉郡の気仙沼に所領を得て子孫が移り住んだ一族です。内陸の人間が海沿いの地に移り住んでいることからたぶん苦労が多かったと思いますが、最終的に気仙沼の熊谷氏の一族は三陸沿岸から内陸の栗原郡の方まで広く分布しています。まぁ、14世紀以降は葛西氏の家臣として活躍したことも影響していますが・・・。

3月20日神奈川台場散策(神奈川県横浜市神奈川区)2012年03月21日 00時34分41秒

散策日和にようやく空き時間ができたため、久しぶりに近場の城跡へと行ってきた。向かった先は神奈川台場で、幕末の1860年に松山藩によって造られた海上要塞の跡である。

連絡橋跡
まず訪れたのが「台場公園」で、台場と名前が付いているものの、正確には台場の西取渡り道(台場と陸地を繋ぐ連絡通路)の跡である。かなり小さな公園ではあるが、子供連れや犬を連れた地元の方が訪れており、ちょっとした憩いの場として役立っているようであった。ちなみに画像の石垣があって少し高くなっている場所が通路の跡で、奥の砂利の場所が内海の跡。白い石畳は外海と内海を繋ぐ水路の跡で、当時はここに橋が架かっていた。


台場中央
公園から東高島駅を見た風景だが、ちょうど画面奥の駅舎のある場所が台場の中心部だった。現在は辺り一帯がJR貨物の敷地になっているため散策できる場所はほとんどない。


台場南側石垣
公園から出て住宅地の中を南に進むと、道路の角で台場の石垣を見ることが出来る。石垣は民家の裏側にかなり残っており、ここが台場の一番の見所だと思われる。


台場北側石垣
住宅地の中の遺構を見た後は、大きく星野橋方面へと迂回して星野町公園へと向かった。ここには台場の東側の石垣があるためで、ちょうど公園の柵に沿って露出した石垣の跡を確認することが出来た。ちなみに公園奥の卸売り市場側には画像よりもさらに露出した石垣がある。


台場北側隅の石垣
ただ、公園の隣の道がカーブした場所には新しいテナントビルが建てられており、これによって台場の北東部の石垣が完全に消滅しているのがなんとも残念であった。画像の上がそのテナントビルの基礎の部分で、画像でも石垣が途切れているのが判る。