4月1日大船散策・その1(神奈川県鎌倉市)2012年04月02日 23時21分40秒

前日の大荒れが嘘のように晴天となった4月1日は、一足先に春を観賞するためフラワーセンター大船植物園へと出かけて来た。


大船フラワーセンター
この植物園は大船駅の西口から徒歩10分ほどの場所にあり、車でなくても訪れやすいのがなかなか良い。


玉縄桜
入って正面すぐの場所に今回目当てにしていた玉縄桜があり、事前の情報通りどの木もほぼ満開であった。ちなみに玉縄桜は染井吉野と同族で、花の見た目はまさに染井吉野のようであったが、開花が染井吉野よりも1~3週間ほど早いのが特徴となっている。なので桜の標準木の開花宣言が出る頃には玉縄桜は満開か散ってしまっているわけである。


玉縄桜原木
玉縄桜はここの植物園で偶然見つかったのが始まりで、園内の最奥の芍薬園の端に原木があった。さすがに原木だけあって木は他の玉縄桜よりも大きく、見事に満開の花を咲かせていた。


大寒桜
玉縄桜の原木にもカメラマンは居たが、園内で最もカメラマンに人気だったのがこの桜で、これは大寒桜である。大寒桜もまた早咲きの桜で、関東圏だと3月には開花する桜である。


温室のバナナ
桜以外にも桃の花や菜の花などこの時期でも見所多くて良かったが、温室の中も色々な草木と花があって良かった。画像のとおり中にはバナナの木もあり、青々とした実を付けていたが、植物園ではこの実をどうするのかがちょっと気になってしかたなかった。

4月1日大船散策・その2(神奈川県鎌倉市)2012年04月04日 00時53分42秒

植物園を一通り見て周った後は、せっかくなので近くにある玉縄城跡も散策することにした。

玉縄ふるさと館
まず始めに立ち寄ったのは、城跡に向かう途中にある玉縄ふるさと館(玉縄民俗資料館)で、ここには城跡の模型や民具等の資料が展示されており、特に地形の立体模型は散策する上でなかなか役に立った。


竜宝寺
資料館があるのは竜宝寺の山門のすぐ隣で、竜宝寺は玉縄北条氏の菩提寺でもある。開基は北条綱成で元々は玉縄城の鬼門にあったが、北条氏勝の代に現在地に移されたという。なお、境内には前述の資料館の他に、後北条氏家臣の流れを汲む石井家の民家が移築保存されている。


諏訪神社
竜宝寺からちょっと北に行った場所には諏訪神社があり、かつては玉縄城の守護神として諏訪壇に祭られていた神社がある。玉縄城の廃城後、御霊社と合祀されて現在地に移されたという。社務所と舞殿があるものの、基本的に無人のようで、ひっそりとした中規模の神社であった。


植谷戸西公園
竜宝寺、諏訪神社から国道を挟んで西側の住宅地の奥には植谷戸西公園があり、ここはかつて城跡の発掘調査が行われた場所らしく、園内に玉縄城と発掘に関する説明板があった。だが、説明板はかなり風化で磨耗しており、文字も図も読み取れない箇所が多かったのが残念だった。


七曲坂
植谷戸西公園の隣には玉縄城の登城路の一つである七曲坂があり、歩道が整備されて歩きやすくなっている。この坂を登りきった先には七曲郭があり、構造的に本丸の馬出のような役目を担っていたと思われるが、現在は一面が住宅地で見所は無かった。


太鼓櫓跡
七曲坂から七曲郭に入る切通しのような場所には太鼓櫓があったと伝わっており、現在も一見するとそれっぽい建物があるが、これは上にある民家の施設だという。


植木一号公園
七曲郭跡に入ってすぐ左の土塁上は植木一号公園として整備されており、説明板の図を見ると太鼓櫓はこっちにあったようにも見える。ここは七曲坂を登って来る敵を上から狙い打つ絶好の位置であり、なんらかの施設があってもおかしくない場所である。


植木一号公園から見える堀切
植木一号公園の端に行くと、はっきりと堀切を確認することが出来た。画像は木々のせいで判りづらいが、堀切の先にも小さな郭があって現状は藪状態のようだった。


玉縄城本丸大手口跡
住宅地と化した七曲郭跡を進むと清泉女学院の裏門が現れるが、ここがかつての玉縄城の本丸の大手口であった。現在、本丸跡からお花畑跡にかけては女学院の敷地になっているため散策できない(※厳密には手続きをすれば可能らしいが・・・)が、今年の秋に実施される『玉縄城築城500年祭』は学園内が会場になるらしいので、本丸跡はその時に確認しようと思う。なお、円光寺郭跡や御馬屋郭跡も散策したが、住宅地やマンションの敷地となっており、遺構や説明板の類は確認できなかった。

4月13日大庭城址花見散策(神奈川県藤沢市)2012年04月15日 23時06分15秒

先週末は風邪で寝込んで全く花見が出来なかったため、今週は少し無理をして夕方に藤沢にある大庭城址へと行ってきた。


柵の向こうの腰郭
大庭城は舌状台地を利用した典型的な縄張りの中世城郭で、城内へは南の登城路から突入したが、登って行く途中にもハッキリと腰郭が確認できた。図の腰郭は柵で侵入できないようになっており、何が祀られているのか判らないが社もあった。ちなみに城内は柵の向こうに堀や郭が確認できる場所が他にも散見できた。


堀切
南の登城路では途中で掘切も見ることが出来、立ち入り禁止にしたいのかロープが適当に張られていた。堀切の先は南端の出丸で、ここは公園としては整備されていない。


主郭の掘立柱建物跡
南口から登りきった台地の上が主郭(一の郭)で、ここには掘立柱建物の跡が石で表現されていた。


横堀
台地上は横堀によって主郭(一の郭)、二の郭、三の郭、四の郭に別けられており、堀は大分埋まっている場所もあるが、二の郭と三の郭の間の掘は深く折れ曲がっており見ごたえがあった。ただ、写真に撮ると何が何だか判らない絵になってしまったので、画像には主郭と二の郭の間の堀を代わりにチョイスした。


4の郭の染井吉野
公園となっている城内は学校が近いせいか部活動でランニングをしている学生が多かったが、三の郭と四の郭では花見をしている人々もチラホラ見かけた。基本的に桜は染井吉野が多いようで、特に四の郭の木々が満開で綺麗だった。


別の桜
染井吉野以外の桜(画像中央の花が桃色のやつとか、画面右の花が緑色っぽいのとか・・・)もあったが、なぜかトイレの裏とか微妙な場所で見かけた。


北西の公園入り口
登城路は3箇所あるが、東と南は歩行者専用の階段で、北西だけが坂道の公園正門となっている。ここでは石垣も見られるが、もちろん城の遺構とは関係無い。


川沿いの桜並木
余談になるが、城址のすぐ東を流れる引地川沿いにも桜並木があり、ここの桜も満開で綺麗だった。

4月15日城と桜の旅(北関東編)・その1(茨城県結城市)2012年04月16日 23時59分33秒

日曜日は晴れたので満開の桜を探して北関東へと出かけて来た。まず先に向かったのが結城城跡で、結城氏の居城があった場所である。

城堀公園
城のちょうど外堀の位置にあるのが城堀割公園で、ここはちょうど対岸の学校敷地側に桜が植えられており、やや散り始めていたもののなかなか綺麗な桜並木だった。公園自体はあまり堀という感じは無く、よく整備された都市部の水辺公園のようだった。


三日月橋周辺の桜並木
城跡は基本的に大半が住宅地と化していたが、宅地の中には空堀がよく残っており、なかなか見事だった。画像奥の桜並木が途切れた場所に見事な空堀があるが、藪のせいで写真に撮ると何が何だか判らない映像になった。画像手前には橋が見えるが、実はここは堀ではない。


結城城跡公園内
城の主郭跡北部にあるのが「結城城跡公園」で、ピークは過ぎていたものの桜が満開で綺麗だった。公園内は城跡の説明板があるものの、遺構と思われるものは確認できなかった。むしろ公園の外のほうが遺構の見所が多かったような気がする。


結城城跡公園から東側を望む
公園から東側を見ると低地が広がっており、当時はこの辺りは湿地が広がっていたと伝わっている。要するに城の北と東は湿地帯で、台地続きの西側から南に外堀を設けることで台地を切り取って城の縄張りを作っていたのである。


空堀と土橋
公園のある主郭と西舘の郭の間にも空堀が残っており、ある程度埋まって底が浅くなっているが、なかなかの大きさの堀だった。画像右側に見える道路は当時の土橋を利用して造られており、道が斜めになっているのはそのせいだという。


結城小学校前の桜
前述の通り、城跡は宅地化で空堀以外の見所があまり無かったが、どういうわけか結城小学校の周辺に石垣と塀が造られており、無駄にいかにも城っぽく整備されていた。なお、ここにも桜が植えられており、満開でなんとも綺麗だった。

4月15日城と桜の旅(北関東編)・その2(栃木県上三川町)2012年04月17日 23時47分09秒

結城城では桜が散り始めていたので、次はもうちょい北上してみて上三川城へと向かった。

上三川城本丸南口
上三川城は横田氏、今泉氏の居城で、当時は大きな平城だったようだが、現在は本丸以外が市街地に埋もれて消滅している。そして、残った本丸が現在は公園として整備されているのだが、どういうわけかやたらとデカイ石の石垣もどきがあったりして、やりすぎな感じがする整備状態だった。


内堀
本丸はほぼ方形に近い郭で周囲の土塁と水堀がよく残っており、周囲は住宅地で少々狭苦しい感じがするが、なかなかいい景観だった。


本丸内部
本丸内部は広い芝生の広場になっており、周囲の土塁沿いに植えられた桜が満開で綺麗だった。当然ながら園内は花見の親子連れ等で賑わっており、なかなか長閑でいい場所だった。