4月9日東海桜紀行・その1(愛知県岡崎市) ― 2011年04月12日 23時06分51秒
【桜と岡崎城】
3月から気分は下り坂だったが、さすがにこのままでは腐ってしまいそうだったので、今年も例年同様に桜の旅に行ってきた。週末は南関東がちょうど見頃を迎えたが、天候が雨だったため、9日は統一地方選挙の期日前投票を済ませてから名古屋方面へと出かけることにした。
まず始めに立ち寄ったのは岡崎城で、ちょうど桜が満開で大勢の人で賑わっていたが、桜はどちらかと言うと城跡の周囲の川沿いに咲いているものが綺麗だった。
岡崎城には今回が2度目の訪城となるが、本丸以外は以前来た時より微妙に整備状況が変わっているようだった。特に再建された大手門や東隅櫓は今回見るのが始めてで、東隅櫓の方は菅生曲輪跡から見るとなかなかしっくり来る出来でしたが、大手門の方はなんだか残念な造りだった。まぁ、実際の大手門とは場所も構造も違うので、恐らくそれが原因だとは思うが、どうせならこの付近にあった「七間門」を再建すれば良かったのにと残念に思う。
3月から気分は下り坂だったが、さすがにこのままでは腐ってしまいそうだったので、今年も例年同様に桜の旅に行ってきた。週末は南関東がちょうど見頃を迎えたが、天候が雨だったため、9日は統一地方選挙の期日前投票を済ませてから名古屋方面へと出かけることにした。
まず始めに立ち寄ったのは岡崎城で、ちょうど桜が満開で大勢の人で賑わっていたが、桜はどちらかと言うと城跡の周囲の川沿いに咲いているものが綺麗だった。
岡崎城には今回が2度目の訪城となるが、本丸以外は以前来た時より微妙に整備状況が変わっているようだった。特に再建された大手門や東隅櫓は今回見るのが始めてで、東隅櫓の方は菅生曲輪跡から見るとなかなかしっくり来る出来でしたが、大手門の方はなんだか残念な造りだった。まぁ、実際の大手門とは場所も構造も違うので、恐らくそれが原因だとは思うが、どうせならこの付近にあった「七間門」を再建すれば良かったのにと残念に思う。
4月9日東海桜紀行・その2(愛知県岡崎市) ― 2011年04月13日 23時30分09秒
【夜桜と天守閣】
初日は結局移動時間が勿体無いために岡崎城で日が落ちるまで過ごし、露天を周ったり川沿いの桜を眺めたりして楽しんだが、日没後も外観復元の天守閣に登れると聞いたので登ってきた。
内部はただのビルとはいえ夜間も登れるのは珍しかったため、展示を見て周りながら最上階へと登ったが、最上階からの眺めは予想に反してあまり良いものではなかった。というのも、天守閣を照らすライトアップ用のライトの光が強すぎるため、夜景も眼下の景色もじっくり眺めることが出来なかったのである。
結局、夜の城内を少し散策した後は名古屋まで移動し、この日の旅はひとまずお開きとなった。
初日は結局移動時間が勿体無いために岡崎城で日が落ちるまで過ごし、露天を周ったり川沿いの桜を眺めたりして楽しんだが、日没後も外観復元の天守閣に登れると聞いたので登ってきた。
内部はただのビルとはいえ夜間も登れるのは珍しかったため、展示を見て周りながら最上階へと登ったが、最上階からの眺めは予想に反してあまり良いものではなかった。というのも、天守閣を照らすライトアップ用のライトの光が強すぎるため、夜景も眼下の景色もじっくり眺めることが出来なかったのである。
結局、夜の城内を少し散策した後は名古屋まで移動し、この日の旅はひとまずお開きとなった。
4月10日東海桜紀行・その3(愛知県小牧市) ― 2011年04月14日 23時56分09秒
【小牧山城からの眺め】
名古屋で一泊した翌日は小牧市へと移動をし、小牧城がある小牧山へと向かった。小牧山は濃尾平野の中にそびえる独立丘陵で、周囲は平野だけあってかなり目立つ山だった。
山の麓へと移動すると山の麓を取り囲むように大きな土塁と堀跡が残っており、虎口もハッキリ形が残っていて見事なものだった。桜もちょうど満開で大勢の市民の方々で賑わっていたが、どうやら桜祭りの方は震災の影響で取り止めになったとのことだった。
小牧山は遠巻きにはただの山のように見えたが、いざ麓から登ってみると無数の郭や土塁、そして竪堀に横堀が見られ、さらに山頂の本丸跡には岩を積んだ石垣の跡までも残っていた。
山頂には展望台と資料館を兼ねた模擬櫓っぽい建物があり、最上階からの眺めは360度遮るものが無いため、なかなかの絶景だった。小牧山は想像していたよりも遺構や見所が多く、本気で散策すると半日は潰れそうだったため、昼が近づいた時点で次の目的地に移動することにした。
名古屋で一泊した翌日は小牧市へと移動をし、小牧城がある小牧山へと向かった。小牧山は濃尾平野の中にそびえる独立丘陵で、周囲は平野だけあってかなり目立つ山だった。
山の麓へと移動すると山の麓を取り囲むように大きな土塁と堀跡が残っており、虎口もハッキリ形が残っていて見事なものだった。桜もちょうど満開で大勢の市民の方々で賑わっていたが、どうやら桜祭りの方は震災の影響で取り止めになったとのことだった。
小牧山は遠巻きにはただの山のように見えたが、いざ麓から登ってみると無数の郭や土塁、そして竪堀に横堀が見られ、さらに山頂の本丸跡には岩を積んだ石垣の跡までも残っていた。
山頂には展望台と資料館を兼ねた模擬櫓っぽい建物があり、最上階からの眺めは360度遮るものが無いため、なかなかの絶景だった。小牧山は想像していたよりも遺構や見所が多く、本気で散策すると半日は潰れそうだったため、昼が近づいた時点で次の目的地に移動することにした。
4月10日東海桜紀行・その4(愛知県犬山市) ― 2011年04月15日 23時34分38秒
【犬山城と桜】
小牧山から下山した後は再び北上し、現存12天守の一つにして国宝でもある天守閣が聳える犬山城へと向かった。ちなみに「小牧長久手の戦い」では小牧山城が徳川方の本陣、犬山城が豊臣方の本陣となったという。
犬山市の市街地に入り、犬山城の城下町の面影が残るエリアに入るとさっそく大勢の観光客で狭い通りが賑わっていた。城下町から城へと向かうと、頂上に天守閣が見える小山が遠くに見え、この景色はいかにも城下町な感じで風情があった。
城のある山の麓まで来るとなかなかの混雑っぷりだったが、驚くのはこの先からだった。城の大手の坂道を登っていくと、何やら行列が見えて来たが、どうやらこの行列が本丸に入るための順番待ちの行列らしい。本丸内部は有料(大人500円)になっており、タダで見て周れるのは本丸の城門の手前までだそうである。ここまで来て天守閣を目指さないわけにはいかないため迷うことなく行列に並んだが、さすがにこの行列待ちのおかげでかなり時間を浪費することになってしまった。まぁ、去年訪れた松本城天守閣の行列よりは苦痛じゃなかったので良かったが、落ち着いて見て周るには観光シーズンは避けるべきだなと改めて思い知らされた。
小牧山から下山した後は再び北上し、現存12天守の一つにして国宝でもある天守閣が聳える犬山城へと向かった。ちなみに「小牧長久手の戦い」では小牧山城が徳川方の本陣、犬山城が豊臣方の本陣となったという。
犬山市の市街地に入り、犬山城の城下町の面影が残るエリアに入るとさっそく大勢の観光客で狭い通りが賑わっていた。城下町から城へと向かうと、頂上に天守閣が見える小山が遠くに見え、この景色はいかにも城下町な感じで風情があった。
城のある山の麓まで来るとなかなかの混雑っぷりだったが、驚くのはこの先からだった。城の大手の坂道を登っていくと、何やら行列が見えて来たが、どうやらこの行列が本丸に入るための順番待ちの行列らしい。本丸内部は有料(大人500円)になっており、タダで見て周れるのは本丸の城門の手前までだそうである。ここまで来て天守閣を目指さないわけにはいかないため迷うことなく行列に並んだが、さすがにこの行列待ちのおかげでかなり時間を浪費することになってしまった。まぁ、去年訪れた松本城天守閣の行列よりは苦痛じゃなかったので良かったが、落ち着いて見て周るには観光シーズンは避けるべきだなと改めて思い知らされた。
4月10日東海桜紀行・その5(愛知県犬山市) ― 2011年04月16日 18時16分18秒
【犬山城天守閣から見た本丸】
本丸大手門の受付を通り本丸へと入ったが、行列から外れると天守閣に入れなくなるためそのまま天守閣へ。天守閣は石垣の部分が1階になっているタイプで、中に入ってすぐ急階段なのが印象的だった。今まで訪れた天守閣の中でも一際入り口部分が入り辛い造りなため、実戦的に造られた近世以前の天守閣の構造が良く判る良いものだった。
天守閣内部もずっと行列に並びながら最上階まで登ったが、そもそも内部は広くも無く、高さも決して高い方ではないので、気づいたら最上階の望楼に辿り着いていた。
最上階からの眺めはなかなかの絶景で、特に眼下に木曽川が流れている光景が圧巻だった。周囲の廻縁は手すり部分が低いため、カメラを構えてる時に風が当たると冷や汗が出るドキドキ感があった。
天守から降りてやっと自由に散策できるようになったが、天守以外はどれも「櫓風」の建物でこれといったものは無かった。搦め手部分は大手とは逆の川側へ降りていく場所にあったが、道は獣道のように残っていたものの柵で閉鎖されていた。結局、散策してみた限りでは天守以外の見所は石垣と大手道の途中で見られる空堀くらいだたのは意外だったが、それでもやはり見事な城郭であった。
本丸大手門の受付を通り本丸へと入ったが、行列から外れると天守閣に入れなくなるためそのまま天守閣へ。天守閣は石垣の部分が1階になっているタイプで、中に入ってすぐ急階段なのが印象的だった。今まで訪れた天守閣の中でも一際入り口部分が入り辛い造りなため、実戦的に造られた近世以前の天守閣の構造が良く判る良いものだった。
天守閣内部もずっと行列に並びながら最上階まで登ったが、そもそも内部は広くも無く、高さも決して高い方ではないので、気づいたら最上階の望楼に辿り着いていた。
最上階からの眺めはなかなかの絶景で、特に眼下に木曽川が流れている光景が圧巻だった。周囲の廻縁は手すり部分が低いため、カメラを構えてる時に風が当たると冷や汗が出るドキドキ感があった。
天守から降りてやっと自由に散策できるようになったが、天守以外はどれも「櫓風」の建物でこれといったものは無かった。搦め手部分は大手とは逆の川側へ降りていく場所にあったが、道は獣道のように残っていたものの柵で閉鎖されていた。結局、散策してみた限りでは天守以外の見所は石垣と大手道の途中で見られる空堀くらいだたのは意外だったが、それでもやはり見事な城郭であった。