6月15日村山左沢紀行・後編(山形県大江町・寒河江市・中山町・山辺町)2008年06月21日 13時24分46秒

左沢城三の丸跡からの眺め
山形市内のホテルを出た後は、左沢線の終点の左沢まで移動し、第一目的地の左沢城へと向かった。(※ちなみに左沢は「あてらざわ」と読みます)

線路脇の民家の小道から入り、整備されているものの利用者が少なそうな登城路を登った先は三の丸跡で、今は西側は少年自然の家の敷地となっているが、東側は日本一公園として整備されていた。三の丸跡の東端には東屋があり、ここから城下町と最上川が見渡せ、なかなかの絶景だった。当然、観光客などにも人気のスポットらしく、団体客やSL撮影目当てと思われるカメラマンなどが、狭い敷地に溢れていた。

三の丸跡東端から二の丸跡へ続くと思われる道があったが、明らかに降りたら登るのが大変そうだったので、二の丸は諦めて、三の丸中央の最も高い場所へと登った。三の丸中央の丘は2段ほどの腰郭があり、頂上は狭く延びた郭となっている。

三の丸から北側には谷を隔てて本丸があるが、三の丸北端部に「立ち入り禁止の看板」があって、どうやら本丸跡も私有地らしいので諦めて山を降りて町に戻ることにした。

町に戻った後は街中にある小漆川城を見に向った。正直なところ、10年で廃城となった平城と聞いていたので期待していなかったのですが、外堀の小漆川や月布川は小川というより渓谷に近く、城跡の南北と東が川で囲まれ、なかなかの要害に驚かされた。唯一の陸続きの西側には百間堀があったそうだが、残念ながら埋まっていて確認できなかった。城内は今は民家と畑になっており、本丸や二の丸の名残も同様に確認できなかった。

小漆川城を見た後は大江町役場の近くにある「そば処やまと」でおろし肉そばを食べたが、これがなかなか歯ごたえがあるそばで美味かった。昼食を済ませた後、左沢駅へ向ったが、ちょうどSLが停車しており、小さな駅が大勢の人で賑わっていた。

SLで盛り上がっている左沢を後にし、今度は寒河江市内の柴橋へと向った。柴橋の段丘の上には柴橋楯跡があるのだが、残念ながら遺構は見あたらず、アパート脇にひっそりと城址碑があることしか確認できなかった。地形から見て段丘の端に築かれた南を見渡す館だったのだろうと思われる。

柴橋楯を確認した後は寒河江市から中山町へ移動し、長崎城跡を見に行った。一応、本丸跡にあったとされる大銀杏は確認できたものの、輪郭式平城だったという面影は全く無く、今は完全に町に埋もれてしまっていた。

長崎城を見た後は山辺町へと移動し、高盾城と山野辺城を見に向った。まず先に向った高盾城は、丘の頂上の本丸跡に天満宮があり、南側(二の丸跡か?)が果樹園となっていた。丘の麓は住宅地になっており、三の丸の外周に堀が巡っていたというのもどこなのか、さっぱりわからなかった。

高盾城を見た後は、すぐ南にある山野辺城を見に向ったが、こちらも全体的に町に埋もれてしまっており、山野辺消防団本部敷地となっている本丸跡が周囲より高くなっている等の縄張りはよく判るが、堀や土塁などの明確な遺構は確認できなかった。ただ、近世に山野辺城二の丸跡に築かれた陣屋の玄関が公民館の敷地に残っており、数少ない城に関する文化財となっている。また、そこからの眺めも何気に良い。

山野辺城を見た後は山形市内へ戻り、無事に戻れることを祈りつつ神奈川への帰路に着いた。