いわき散策・後編(福島県)2006年12月24日 23時32分40秒

出羽神社(画面左脇に汐谷城の看板)
湯本の温泉のおかげか前日の山歩きの疲れはほとんど残っていなかったため、朝からさっそく城めぐりに出かけた。

湯本には江戸時代の湯長谷藩の城もあるが、城跡は現在は学校となっており、これから登校時間ということもあって今回は回避することにした。湯本から南下して、旧泉藩の城下町へと向かう。泉藩の藩庁である泉城がここにはあるが、公民館に碑があるだけで、城跡は完全に街に埋没して判らなくなっていた。公民館からコンピューター学校、隣の保育園あたりが城跡らしいが、平地で道も碁盤目に近いため言われなければ判らない程である。ただ、保育園より南の一角に住宅地に不釣合いな立ち入り禁止の荒地があり、その中には沼もあったのでもしかするとこれは堀の一部かもしれない。

泉城跡より南に少し下ると滝尻城跡に着く。中世には滝尻がこの地域の中心地だったが、泉藩が出来る時に泉に周辺の村々がかき集められて城下町が創られたため近世には泉が中心地となったという。滝尻城は藤原川と釜戸川に挟まれた要地の滝尻に作られた平城である。南北朝時代には菊田荘地頭職の小山駿河権守が滝尻城を拠点に北朝勢と戦ったという。現在城跡は諏訪神社となっており、周囲には土塁が残っている。諏訪神社から道路を挟んだ北東部分の小さな社の辺りにも塁壁があり、そこから東側の畑は一段低くなっているのでここが城と外の境界だと思われる。諏訪神社の境内に入ると大きな沼があるが、参道に分かれて対称に配置されているので、これは神社を勧請した時に作られたものと思われる。

滝尻城跡を散策した後はさらに南下し植田へと向かった。この地は鎌倉時代は地頭の小山氏の領地だが、実際に現地を支配していたのは菊田氏であった。南北朝時代には南朝の小山氏に従って菊田氏も戦っており、ある意味で菊田氏は地頭の小山氏の家臣的立場にあったものと思われる。というわけで、まずは菊田氏の城の一つである汐谷城跡へと向かった。

汐谷城跡は植田の街の東方の丘陵地帯にあり、現在その場所には出羽神社が建っている。無名に近い城かと思ったが、意外にも神社の前には汐谷城跡の看板が建っていた。だが、説明に書かれてるのは創作の安寿と厨子王の話のことであり、菊田氏の名前など一切出てこないので困ったものである。とりあえず、出羽神社へと登ってみるが、登る途中の階段が崩壊しているなどかなり危険な状態になっている。実際、神社のある丘陵の斜面は崖に近く要害としては適しているが、登るには大変な場所である。神社の本殿のある場所は丘陵の尾根が半島状に突き出た場所で、植田の街が見渡せて展望にはいい場所である。汐谷城は出羽神社の裏の山だというので、さらに山奥のの方へ分け入ってみたが、どうも城跡らしい遺構が見つからない。削平された平場が無く、斜面にも帯郭らしいものも見つからない。どんどん進むうちに両側が崖になった峰に来てしまったが、これ以上奥に行っても何も無さそうなので引き返すことにした。森の奥ではあるが、遠くからずっと子供達の声が聞こえていたので植田小学校の裏山あたりに居たんだろうと思う。年代が経ち過ぎて遺構が風化してしまったのか、または場所が違うのかは判らないが城跡ならではのものが見れず残念である。

汐谷城の後は植田の街の西側にある植田城へと向かった。植田城は鎌倉時代は菊田氏が居城としており、戦国時代にも岩城氏一族の植田氏が居城とするなど、この地域の中心だった城である。現在、城跡はそのまま住所にもなっており、「館跡」「東館」「館崎」といった判りやすい地名がついている。とりあえず、「館崎」から訪れてみたが、ここは東から西へ伸びる丘陵の東端であり、愛宕神社が建っている。見たところ物見台といった感じである。愛宕神社の脇の麓には植田稲荷神社があり、説明によれば梶原美濃守が植田城を修築した時に勧請されたものだという。丘陵はここから西へずっと続いているが、南側が護岸されたせいか峰の部分が威容に狭くなっている。また護岸のせいで南側からは登れないので、北側から「館跡」に侵入してみたが、ここには公園がある他は団地となっており。特に遺構は見当たらない。公園部分が不自然に2段になっているので、公園は2つの郭の境界に作られたものと思われる。団地よりずっと西へ行くと急に低くなっている部分があり、堀切のあとだろうかとも思われるがよく判らない。ここを越えた西側の丘陵は畑になっており、西の端には神社が建っていた。ここより西側はだんだん低くなっておりここらへんが縄張りの西側の限界と思われる。館跡団地のある丘陵も畑のある丘陵もかなり広い面積なので、正直中世の城としては大きすぎる気もする。余談だが、愛宕神社のある場所と館跡団地と畑のある場所は同じ丘陵の上にあるにも関わらず通り抜けできそうになかったため、それぞれ北側を迂回して向かっている。登って降りてまた登ってを繰り返したわけである。

植田城を散策した後はまだ太陽が出ていたが、神奈川まで今日中に帰還しないといけないので家路につくことにした。