7月16日四国遠征・その2【琴弾公園】【観音寺城】(香川県観音寺市) ― 2014年07月22日 01時26分17秒
高松で昼食を食べた後、特急で川之江を目指して移動したが、途中で居眠りしてしまい勘違いして一歩手前の観音寺駅で降りてしまうミスをしてしまった。さすがに次の便を待つのも時間が勿体無いので、この機会に観音寺の名所に向かうことにしたが、ちょうどいいことに時代劇で見たことがある名所があった。
琴弾公園隣の丘陵に登り銭形展望台へと行くと、そこからは「寛永通宝」と書かれた見事な砂絵を望むことが出来た。なんでも江戸時代に領民が領主の巡検を歓迎するために一夜で造ったのが始まりだという。写真を撮ってから気付いたが、この砂絵は正午付近に撮ると影が無いため非常に見難いことが判った。
展望台のある丘陵の最も高い場所に琴弾八幡宮があったので、せっかくなので参拝に立ち寄った。ちなみにここは源平合戦の屋島の戦いの際に、源義経家臣の伊勢三郎が平家方の田口教能を源氏に降るよう説得した場所だという。
画像は丘の麓にある八幡宮の鳥居で、ここから前述の拝殿まで続く階段はかなり長かった。途中には沢山の脇社があったが、さすがにそれら全てに立ち寄る余裕は無かった。
八幡宮鳥居から少し離れた池?にある謎の石。注連縄が張られていることから何かの言い伝えがあるはずだが、周囲には特に説明板などは見つからなかった。
観光案内所で貰った地図に「観音寺城跡」と書かれていたので、ついでにそこにも立ち寄ったが、ごらんの通りのただの公園で周囲は散策してみても住宅地しか無かった。城址碑はこの公園の入口にあったが、特に説明等は書かれていなかった。一応、後から軽く調べた感じではここは香川景全の居城だった場所で、公園のある場所は堀跡だったようだ。
観音寺城唯一の遺構とされているのが、一心寺に移築された城門で、寺を訪れて見たところ石版にそのことが記されていた。城門としては少し小さい気がするが、搦め手ならこんなもんかもしれないし、移築の際に形状が変わっているかもしれないので、なんとも判断し難い。
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