5月2日GW帰省寄り道桜紀行・その1(岩手県紫波町)2011年05月09日 21時39分56秒

城山公園西斜面の桜
【高水寺城】(城山公園)

4月は結局災害などの影響で東北地方には出かけれなかったが、せっかくなのでGWに帰省する際に桜が満開そうな場所に立ち寄っていくことにした。

大部分で既に桜が散っている宮城県を通過し、岩手県の内陸を最初の目的地としたが、移動途中では未だにブルーシートが屋根に張られている家々や、部分的に崩れた斜面などの地震の爪あとが見え痛々しかった。沿岸部はもっと酷い光景が広がっているだろうが、あまり興味本位で行くべきではないと思うので今回は確認していない。

岩手県に入り最初に立ち寄ったのが、紫波町の城山公園で、名門斯波氏の居城の高水寺城跡である。城山公園は全体的に8割咲きほどで見頃を迎えていたが、どうも天候が安定せず太陽が出たり隠れたりの繰り返しで、おまけにやや強い風も吹いていて5月とは思えない肌寒さだった。桜も風が強く当たる山頂から西側は咲いている花も少なめで見ごたえに欠けたが、東側や麓付近などでは満開の桜が見れてなかなか良かった。

城跡としては2回目の訪城だが、改めて散策してみると大小の郭と横堀などが改めて確認できてよかった。ただ、以前来た時は展望台があったのだが、今回はどこにも見当たらなかったので撤去されてしまったようである。なお、桜祭りではないがそこそこ城山公園には人が集まっており、出店も何軒か出ていたが、天候のせいか又は災害のせいか少々賑わいに欠けるような感じだった。

5月2日GW帰省寄り道桜紀行・その2(岩手県矢巾町)2011年05月10日 23時54分43秒

徳丹城西辺柵跡公園の桜
【徳丹城】(西辺柵跡公園・徳田小学校)

高水寺城跡を散策した後はそこから街道沿いに北上し、矢巾町の徳田へと向かった。ここにあるのは、紫波城が水害で破壊されたことから築かれた、最後の古代城柵・徳丹城である。

徳丹城跡は現在は城址を街道が貫通しており、北東部は徳田小学校、南部には徳田神社、そして西部が西辺柵跡公園となっている。城柵の内郭は学校のグランドの南側に隣接してあり、正殿や脇殿、門跡が盛土と柱で平面復元されていた。ただ、他の城柵と比べると少々コンパクトな感じだった。

外郭の北門跡は学校の北側にあり、ここには説明板もあって当時は外側に突き出ていて堀に囲まれていたとのことであった。南門跡には徳田神社があり、ここにも桜があって満開で綺麗だった。西門跡は柵列や櫓跡も含めて平面復元されており、「西辺柵跡公園」として整備されていた。ただ、柵列の外側は元々掘があったのか雨水が溜まっており、水溜りの中にベンチがある光景はなんとも妙な光景だった。

「西辺柵跡公園」の西側には桜並木があってちょうど満開で綺麗だったが、贅沢を言えば青空が見たかったところ・・・。桜並木の外側には矢巾町立歴史資料館があったが、ちょうど休館日だったため、内部は確認できなかった。資料館の隣には南部曲屋が移築されていたが、こちらも内部には立ち入れず、なんとも残念なことだった。

5月2日GW帰省寄り道桜紀行・その3(岩手県盛岡市)2011年05月11日 23時14分53秒

盛岡城腰郭・淡路丸付近の桜
【盛岡城】

徳丹城跡を散策した後は再び街道を北上して盛岡市内へと入り、盛岡城へと向かった。盛岡城もまた桜が満開で、淡路丸では花見客が宴会で盛り上がっていたが、シートを曳いている花見客は以前来た時の1/3ほどしかおらず、ここもまた震災の影響が出ているようだった。

既に日が傾いていたため、あまり満足に散策はできなかったが、淡路丸のソメイヨシノの他は、三の丸の石垣の下のシダレザクラもまた綺麗だった。ただ、盛岡城自体に大きな震災の跡は見えなかったものの、本丸腰郭西側の市街地から公園へと入る坂道の場所の石垣の孕みが以前より酷くなっているように見えたので、将来的にはそこが不安でならなかった。

5月3日GW帰省寄り道桜紀行・その4(青森県八戸市)2011年05月12日 23時44分51秒

三八城公園の桜(八戸城本丸跡)
【八戸城】(三八城公園)

盛岡から八戸まで北上して一泊した翌日は、朝から八戸城の本丸跡である三八城公園へと向かった。八戸城跡は大部分が市街地に埋もれてしまっており、本丸跡の西側半分にあたる三八城公園でも土塁がわずかに確認できる程度となっている。

三八城公園の桜はソメイヨシノ中心でやや散り始めていたが、それでもまだ十分見頃で綺麗だった。時間帯が早いせいか公園を訪れる人はあまり居らず、散歩している人も片手で数えれるほどしか見かけなかった。

5月3日GW帰省寄り道桜紀行・その5(青森県七戸町)2011年05月13日 23時24分23秒

七戸城二の丸跡(柏葉公園)
【七戸城】(柏葉公園)

三八城公園を散策した後は八戸駅へと向かい、そこから昨年末に開業したばかりの七戸十和田駅へと向かった。八戸駅から七戸十和田駅までは新幹線での移動だったが、片道約1300円ほどで何気にバスで七戸まで移動するより安い。ただ、駅のある場所は七戸の街外れのため、そこからさらにバスで移動することになった。

七戸の中心街へと移動した後は、さっそく七戸城跡の柏葉公園へと向かった。城跡は市街地の西に隣接する台地の上に築かれており、本丸跡は神明宮の境内となっていたが、周囲の土塁はよく残っていた。むしろその土塁の上に立つ巨木に圧倒されたが、これは樹齢500年ほどのモミの木だそうである。つまり、まだ城が健在だった頃からこの木はこの場所にあったことになるのだから凄い。

神社から土塁を隔てた隣が二の丸跡で、柏葉公園の中心部である。桜の木はこの場所に多く植えられており、主にソメイヨシノのようであった。花は満開手前だったが十分見頃であり、地元の花見客の方々が静かに宴会を楽しんでいた。

二の丸の周囲には水堀があり、そこから隔てて北舘跡があって、この場所に建物を復元する計画があるようだったが、まだ空き地状態のままだった。西舘跡も神社の周囲は空き地のようだったが、こちらも整備するつもりなのかは良く判らなかった。なお、角舘と外郭は住宅地と化しており、辛うじて堀の跡が残っている程度だった。

北舘から谷を隔てて北側の台地(貝ノ口)も縄張りの内らしく、ここも台地の上は広い空き地となっていたが、部分的に土塁がしっかりと残されており、周囲は発掘したのか掘ったような跡が広く残されていた。

なお、谷の市街地側には城門が復元されているが、説明を見る限りでは発掘調査等で門跡を確認したわけではなく、文献から推測してこの場所に建てたようである。形は青岩寺の移築城門そのものであり、青岩寺も元々はこの辺りにあったようであるが、正直なところ検証がまだ不十分のように感じられた。