田中城散策(静岡県)2006年10月01日 23時00分00秒

田中城三之堀
静岡県の藤枝市にある田中城へ行ってきた。

田中城は全国でも珍しい同心円状の縄張りをもつ城で、以前から非常に興味がある城であった。田中城の縄張りを作った武田氏は三日月堀などの曲線を混ぜた城を得意としており、やはりそこから同心円状の縄張りの城という発想が生まれたんだろうか?と、考えさせられる城である。

現地を訪れてみると辺りは住宅地が密集しており、城跡の面影は見られないんじゃないかと不安になったが、住宅地を縫う道路を通って散策してみると、至るところに城跡のどの部分にあたるかの標柱が立っていることに気づいた。おかげで遺構が見られなくても、「あぁここが三日月堀があった虎口か」と頭の中の地図や縄張り図と照らし合わせながら思いにふけることが出来た。

現在の城跡は本丸跡に中学校があって、二の丸と三の丸の大半が住宅地になっている。そして、当時の堀に沿って道路が通っていたりするため、地図で見ると何気に面白い。ただ現地を散策しているとカーブが多いため、たまに方向が狂わされる時があった。

実際の遺構としては平島一之門跡に土塁の一部、中学校付近に二の堀の一部、学校の裏に三の堀と土塁の一部、大手一之門跡付近に土塁の一部、水堀の水源でもあった姥ヶ池、三の堀跡に沿って流れる水路など、思いのほか断片的に残っているのが確認できた。

建物関連は下屋敷跡に作られた公園にまとめて移築されており、素朴な外見の現存櫓や茶室、厩つきの建物などを拝むことができた。ちなみに、城跡周辺には高い建物が無いため、櫓からの眺めは意外にも良かった。

散策した感想としては、目に見える面白味は薄いが、当時の縄張りを思い浮かべながら散策する分にはなかなか楽しめる城だった。

10月4日奥羽古城散策更新2006年10月04日 23時02分27秒

奥羽古城散策
http://www.ne.jp/asahi/saso/sai/

今回の更新では埼玉県の忍城と、栃木県の佐野城、静岡県の田中城を追加。

今週の3連休を利用して秋を撮りに奥州へ出かけようと思っていたので、今回は急いで今までの分を更新です。※他のサイトに比べれば圧倒的に更新が遅いですが(苦笑)

愛機の最後と高崎城散策(群馬県)2006年10月11日 23時33分02秒

高崎城移築本丸隅櫓と移築東御門
久々に東北地方へ行く予定だった3連休は熱帯低気圧(もと台風)のせいで土曜日に東北地方が大荒れになったため中止。今思えばこれが悪夢の始まりだった・・・。

休み後半に鬱憤を晴らすべく上野国の高崎へ日帰りで出かけたが、飯を食べようと向かった先がことごとく準備中もしくは定休日。しょうがなく入ったファミレスでは呼び鈴を押しても店員がなかなか着てくれない有様(今思えば注文をとったり運んでいる店員は1人しか見なかったような気がする)。

1時間以上消費してやっと飯を食べた後、高崎城跡に向かったがここで今週最大の悲劇が・・・。先週はなんともなかった愛用のデジカメが、この時使用すると白い絵に横線が無数入った画像しか撮れなくなってしまったのである。最初はホワイトバランスか補正あたりが変に設定されてしまっているのかと思ったが、どうやってもこの現象が解決できず結局ついに壊れたのかと諦めモードになった。出発前に手入れでもしていれば早く気づいただろうに・・・と後悔に苛まれた。

それでも記録だけは残したかったので、なんとか携帯電話のカメラで撮ったが、さすがに画質が悪いのと沢山保存できないため欲求不満がかなり残った。おまけに櫓付近にはボウフラっぽい虫が沢山飛んでてベタベタくっついてくるため、じっくり撮影どころかゆっくり説明板すら読むことも出来なかった。

とりあえず嫌な出来事を横に置いて、高崎城跡を散策した感想としては、都市部の平城で三の丸の土塁と水堀が1km以上も続いて残っているのにはちょっぴり感動を覚えた。ただ、土塁の内側に入ってしまうと、本丸や二の丸の面影は全く見られず、市役所をはじめとして公共機関が立ち並んでいるだけの風景が広がっており寂しい限りである。三の丸の追手門跡付近には東御門や本丸隅櫓が移築されており見所ではあるが、櫓を模擬石垣に乗っけて見栄えを良くしているため、人によって誤解をするような状況なのは気になった。

高崎城跡散策自体は有意義なものだったが、この日はショックが大きかったため嫌な1日となってしまった。

白河散策(福島県)2006年10月16日 21時24分38秒

小峰城
土日に泊りがけで久々に白河へ行ってきた。

初日は本当は図書館に寄って行こうと思ったが、出発が遅れて思いのほか移動に時間を割いてしまったため、そのまま市内から南湖公園へ抜けるルートを散策した。

まず寄ったのが関川寺で、かつての結城宗広の隠居所の関川館の跡である。城の遺構としては資料に南西に土居が残るとあったが、土居というか南西部を区切る堀のようなものが確認できた。

関川寺を見た後は番町沿いに南湖へ出たが、着いた頃には既に日は落ちてしまっていたので南湖散策は早々に切り上げて、新白河のホテルへ向かった。

次の日はまずは小峰城からスタートし、阿武隈川右岸沿いに東へ訪城の旅をすることにした。

小峰城は近世平山城で石垣や内堀が現存し、本丸には木造の復元櫓と門がある。今までも何度か訪れた城なので、今回は三の丸の丘陵の裏側を散策した。丘陵地帯の裏側には今も石垣が残っているが、こちら方面はあまり観光客は通らないので意外と知られていない。搦手口より東側の水堀は現在釣堀になっているが、途中から埋め立てられてしまっている。だが、この埋め立てられた堀地帯は延々と東へ続き、この場所にだけ建物が建っておらず荒地になっている。たぶん、埋立地は地盤が弱くなるためだろうけど、関東方面では平気で水堀跡の上に建物が建っているので、これは面白い発見だった。

小峰城を早々に後にし、次は白川城に近い場所にある歴史民族資料館へ寄った。こじんまりとした資料館だが、入館無料なのが嬉しい。小峰城などの維持管理費に当てるなら少しは取っておいてもらってもいいと個人的には思うが、白河市はなぜか入場料が無料や安い場所が多い。

歴史資料館を出た後は、白川城が最も近いが、ここも2度ほど訪れているので今回はパスしてそのまま東へと向かう。搦集落を抜けて双石集落へと着く、ここがかつての双石郷でその軍略の知識を買われて結城晴綱に登用された佐藤大隈守の居城がある。また、白河ラーメンでも有名なとら食堂もこの地にあり、今回はここで昼食とする予定だったが・・・。なんと、この日は臨時休業で閉まっていた。臨時休業なので当然訪れる客も知らないらしく、食堂の前まで来ては引き返していく車がひっきりなしに続いた。正直この周辺にはここしか食べる場所が無いので、これはかなりショックでもあった。

とら食堂から東南へ伸びる道路の突き当たりのT字路に目立つこんもりとした丘陵があり、ここが双石館である。館跡の丘陵はそれほど高くもなく、急斜面な場所もあるが、北側は緩やかで登りやすい。帯郭跡らしきものが見られるが、丘陵はさほど広いわけでもなく館を建てれるような平場が見当たらない。南側で尾根が少し切れているが堀切というには緩やかなので判断に困る。丘陵自体は雑木林だが、西側に古い慰霊碑が立ち並んでる場所がある。ここら辺は茂みに覆われた部分も含めるとそれなりにスペースがあるので、もしかするとここに居館があったのかもしれない。全体的に見て戦には不向きな館と思える。

双石館の次には双石集落と船田集落の中間にある百目木館を訪れた。ここは白河市教育委員会も発掘調査をした場所だが、訪れてみるとあるのは延々と広がる田園地帯。地図と照らし合わせて館跡を特定するが、そこは見るからにただの田んぼ。とりあえず、結城氏家臣の百目木修理が佐竹氏の侵攻に対して館を捨てて討って出ている記録から見て、単郭で平城形式の館だったと想像できる。

百目木館の次はその東側にある船田集落へ向かった。独立丘陵が3つほど並ぶ場所に船田集落があるが、資料によると船田館はどうやら丘陵の下にあったらしい。神社がある場所の真下あたりで、現在は民家がたっており、近くに「松の木下跡」という説明すらない謎の碑がたっている。船田館の背後の丘陵にも戦時の施設がありそうな感じであるが、現在は丘陵の斜面で崩落防止工事が行われており、物々しい感じになっていた。

船田館の次は田島集落へと向かった。田島館と呼ばれる城は2箇所あり、集落の中心の平地にあるものと、集落の南側の丘陵にあるものを言う。後者は結城ヶ館とも呼ばれるが、これは田島氏も結城氏の分家から始まることに由来するものと思われる。

まず、平地の田島館を訪れるが、現在は堀跡に沿って水路が残るのみである。堀跡の内側には現在は民家があり、外側には田島集会場や子安観音堂がある。

続いて丘陵の田島館を訪れる。ここは五箇中学校の背後にあり、農村公園や角折神社がある。神社自体は古い感じだが、平成7年の移転の碑があり、周囲もかなり人工的な平場が形成されているので違和感がある。ここも教育委員会の発掘記録がある城であるが、おそらく公園や神社移転に伴う工事で地形が変わってしまうから実施されたものと思われる。この丘陵は南へと続くが、農村公園の南の尾根を越えた先には清光寺がある。寺自体は比較的新しそうな感じが漂っているが、境内に巨大な木が1本だけ生えていてこの木が歴史を感じさせてくれる。丘陵の大部分は雑木林で、丘陵の頂上あたりに行けば遺構が確認できると思ったが、神社付近は急傾斜だし、他も茂みが深く進入が辛く、さらにここで足も限界が近かったため諦めた。少なくとも公園と寺の中間にある尾根には平場は確認できなかったが、土塁と堀切らしきものはあった。

田島館の次は予定なら龍害館と新地山城に行きたかったが、どちらも山城な上に、足が既に限界だったため諦め、今回の旅はここで切り上げて帰途についた。