6月28日岩手遠征最終日【胆沢城】(岩手県奥州市)2014年07月08日 02時12分03秒

岩手遠征最終日はちょうどこの日に「あやめ祭り」が行われていた胆沢城に立ち寄った。この日の岩手県内陸部は残念ながら天候が安定せず、時折雨が降る状態だった。

胆沢城
もう何年ぶりになるのか忘れたが久々に胆沢城跡を訪れた。画像正面の政庁跡付近は以前と変わっていないように思われる。同じ大和朝廷の古代城柵で、前々日に訪れた志波城と違って盛土くらいでしか整備されていないが、水害ですぐに廃城となった志波城よりも胆沢城の方が歴史的には価値が高い。


整備中の胆沢城南部
ただ、城跡の大通り南部方面に関しては新たに史跡公園の一部として整備されているような様子だった。画像奥の盛土が外郭築地塀跡で、手前から奥に伸びる道が大通り。写真とは逆の後ろに国道を挟んで1つ前の写真の政庁跡がある。


胆沢城の菖蒲園
菖蒲園があるのは胆沢城の北東部の窪地で、あやめ祭りが行われていることもあって地元の人々で賑わっていた。花はちょうどどれも見頃で、菖蒲が辺り一面に咲き誇る様子はなかなか素晴らしい景色だった。贅沢を言えばこれで天候さえ良ければ最高だった。

7月16日四国遠征・その1【讃岐高松城】(香川県高松市)2014年07月21日 14時50分33秒

仕事の関係上、一足早い夏休みが取れたので四国へと旅行に行ってきた。初日は香川県の高松からスタートし、まずは高松城(玉藻城)へと立ち寄った。なお、高松城には約10年前に一度来ているが、当時とは変化があったような情報があったので、今回再度訪れることにした。


高松駅前
高松駅前は以前来た時とはがらりと変わっており、駅前には洒落た海水の池や時計があった。ちなみに説明板を見るとどうやらこの場所のオブジェの石は発掘調査で出土した西の丸石垣を流用しているらしい。


月見櫓と水手御門
まずは城跡をぐるりと回ろうと玉藻公園の外の北側へ。城の北は当時は海に接しており、写真の場所は自分のいる場所も含めてかつては海だった。写真の奥に写っているのが月見櫓と水手御門で、貴重な現存文化財である。水手御門は外が海だということから判る通り、船で出入りするための門で水城ならではの城門である。


東の丸と艮櫓台
玉藻公園外側の北東は地図には県民ホールとしか載っていないが、ここも立派な城跡の遺構が見れる場所で、県民ホールの建物と建物の隙間に東の丸石垣がしっかり残っているのが見所である。以前来た時はここの遺構の残し方に驚愕したものだが、以前よりなんだか綺麗になっている気がするので修繕でもされたのだろうか?写真は東の丸跡内側から見た塁線で、奥に見えるのが艮櫓の櫓台。


復元された東の丸石垣
今回驚いたのが東の丸の石垣がさらに復元されていたことで、香川県ミュージアムがある場所にまるで建物の景観のように取り込まれていた。なお、石垣の下半分が発掘で出土した部分で、上半分が東の丸の現存石垣の高さに併せて復元された箇所らしい。石垣の真ん中に線を引いたように見えるのはこの現存部分と復元部分のせいである。


艮櫓(太鼓櫓跡)
玉藻公園外側の南東部に旭橋から入る公園入口があり、ここからは艮櫓がよく見える。この艮櫓も一応現存文化財ではあるのだが、名前の通りさきほど通った東の丸の櫓台に元々はあったもので、色々あって公園整備の際に太鼓櫓跡に移築されたのだという。説明板によれば艮櫓と太鼓櫓ではサイズが違うため石垣を増設する羽目になったり、櫓も結局改造をすることになり、ほとんど新築に近いとぶっちゃけていたのが皮肉だった。


旭門枡型内の埋門
旭橋から入ると公園の受付があり、大人は200円払って城内へ入る。旭門は近世城郭お馴染みの内枡型だが、珍しいことに枡型内部に勝手口のように埋門が付属していた。説明板によればここから櫓門側と挟み撃ちにするために設けられたのではと書かれていたが、正直なところ謎の入口である。


桜の馬場から見た天守台
桜の馬場は今の時期だと「松」の馬場にしか見えないが、ここから見た本丸の景色がなかなか素晴らしい。なお、画像左でも判る通り内掘が瓦礫のようなもので埋め立てられているが、本丸の工事中は天守台の周辺が完全に埋め立てられていたので、今やっている本丸南西部の工事が終われば元の堀に戻すのだと思われる。


披雲閣
桜の馬場から桜御門跡を通って入った先がかつて城主の御殿があった場所で、今も一応御殿がある。この御殿は大正時代に建てられた「披雲閣」という建物で、江戸時代の「披雲閣」よりは小さいという。大正時代とは言え元城主の松平氏によって建てられているので、2代目披雲閣と言ったところだろうか。ちなみに一般公開されていないようだったので建物内部は見ていない。


鞘橋
披雲閣のある三の丸からは本丸と二の丸の間に架かる鞘橋がよく見えた。画像は右側が二の丸で左が本丸となっており、本丸の修復&復元工事の際に鞘橋との接続部分も修繕されたため、橋の左奥色違い屋根の部分だけが新築となっている。余談になるが、三の丸と二の丸の間の水門付近で小船での遊覧船を運航しており、船から眺める橋もなかなか面白そうだった。(※時間の都合で自分は乗っていない)


本丸から見た天守台
今回訪れて一番大きく変わったと感じたのが本丸跡で、以前来た時は天守台に社殿があったが、現在は石垣の修復および復元により取り壊されていた。補足しておくと、社の中身は既に遷宮しており、建物自体は近代に作られたもので文化財ではないためそのまま解体されたのだという。


天守台内部
天守台の復元のおかげで埋まっていた天守地下1階の構造が見れるようになったのは地味に嬉しい。画像は天守台の展望台から見た天守台内部。なお、ここから見る城内の景色もなかなか見事で、海風が当たって気持ち良かった。強いて言えば天守台南東部にも展望スペースが欲しかったところ。

7月16日四国遠征・その2【琴弾公園】【観音寺城】(香川県観音寺市)2014年07月22日 01時26分17秒

高松で昼食を食べた後、特急で川之江を目指して移動したが、途中で居眠りしてしまい勘違いして一歩手前の観音寺駅で降りてしまうミスをしてしまった。さすがに次の便を待つのも時間が勿体無いので、この機会に観音寺の名所に向かうことにしたが、ちょうどいいことに時代劇で見たことがある名所があった。


銭形砂絵
琴弾公園隣の丘陵に登り銭形展望台へと行くと、そこからは「寛永通宝」と書かれた見事な砂絵を望むことが出来た。なんでも江戸時代に領民が領主の巡検を歓迎するために一夜で造ったのが始まりだという。写真を撮ってから気付いたが、この砂絵は正午付近に撮ると影が無いため非常に見難いことが判った。


琴弾八幡宮
展望台のある丘陵の最も高い場所に琴弾八幡宮があったので、せっかくなので参拝に立ち寄った。ちなみにここは源平合戦の屋島の戦いの際に、源義経家臣の伊勢三郎が平家方の田口教能を源氏に降るよう説得した場所だという。


琴弾八幡宮麓の鳥居
画像は丘の麓にある八幡宮の鳥居で、ここから前述の拝殿まで続く階段はかなり長かった。途中には沢山の脇社があったが、さすがにそれら全てに立ち寄る余裕は無かった。


謎の石
八幡宮鳥居から少し離れた池?にある謎の石。注連縄が張られていることから何かの言い伝えがあるはずだが、周囲には特に説明板などは見つからなかった。


観音寺城跡
観光案内所で貰った地図に「観音寺城跡」と書かれていたので、ついでにそこにも立ち寄ったが、ごらんの通りのただの公園で周囲は散策してみても住宅地しか無かった。城址碑はこの公園の入口にあったが、特に説明等は書かれていなかった。一応、後から軽く調べた感じではここは香川景全の居城だった場所で、公園のある場所は堀跡だったようだ。


一心寺と移築城門
観音寺城唯一の遺構とされているのが、一心寺に移築された城門で、寺を訪れて見たところ石版にそのことが記されていた。城門としては少し小さい気がするが、搦め手ならこんなもんかもしれないし、移築の際に形状が変わっているかもしれないので、なんとも判断し難い。

7月16日四国遠征・その3【川之江城】(愛媛県四国中央市)2014年07月24日 02時57分33秒

予定外の寄道となった観音寺からなんとか移動した後は、愛媛県入りして川之江へと立ち寄った。目的地は海沿いの山の上に見える模擬天守閣が印象的な川之江城である。中世に土肥義昌が山の上にあった仏殿を利用して城にしたため仏殿城と呼ばれ、現在の四国中央市の名からも判るとおり交通の要衝にあったため、なんども戦場となった城であった。


川之江城三の丸跡
東麓の城址公園入口より登り、まずは三の丸を目指したが、登る道中で腰郭跡が多く確認できた。三の丸は山の北側頂上にあってそこそこの広さがあり、慰霊碑と遊具や鳥籠?があるよくある形の公園だが、木々のおかげでここからの眺めは悪かった。


模擬城門
三の丸から鞍部を通って南に行くと駐車場があり、そこから登った場所が二の丸であるが、やけに立派な石垣があちこちに見られるばかりでなく、無駄に本格的すぎる模擬城門がそこにあったことに驚かされた。模擬城門は大抵は胡散臭さ満載の造りになっているものだが、この城門に関しては無駄に本物っぽく造られているのである。


模擬枡型
模擬城門の内側は枡型にもなっており、一般人なら騙されそうなくらい本格的な造りである。念のため後から確認もしてみたが、やはりこれらは現代の人間により造られた模擬建造物で、史跡とは関係の無いものであった。


模擬天守閣
城門を抜けて本丸へと入ると、そこにはどこかデジャブを感じる模擬天守閣が建っていた。内部は資料館となっているのだが、思いの他この城に関する情報は無かったのが残念だった。


模擬天守から見た城下
それでも最上階からの眺めは良く、城下や瀬戸内海が一望できた。画像は内陸側の城下の景色で、海側は残念ながら雲に覆われて綺麗に見えなかった。


現存石垣?
模擬建造物のテーマパーク状態の川之江城であるが、古い絵図などに石垣があったことが記載されており、時代背景的に野面積みの石垣だったと思われる。画像は天守台の下の方の石垣で、模擬石垣が打ち込み接ぎなのに対してここだけ野面積みなため、これが現存石垣の遺構かと思われる。


現存石垣2?
東側の中腹の石垣も野面積みのためこれも現存石垣かなと思うが、正直なところよく判らない。

7月16日四国遠征・その4【道後温泉】(愛媛県松山市)2014年07月25日 03時03分10秒

高松から予讃線沿いに旅をして松山まで移動し、道後温泉にあるホテルに宿をとって体を休めた。なお、道後温泉には中世の伊予領主の河野氏の居城である湯築城があるが、以前来た時に一度立ち寄っており、あれから何か変化があったとも聞かないので今回の旅では再訪はしなかった。ただ、遺構は掘や土塁がよく残っており、一部建物も復元されているため見応えはある城址である。


道後温泉本館
画像は道後温泉本館で、いわゆる大衆浴場のようなもの。今回の旅でも当然利用しており、木造の独特の構造が個人的にお気に入りである。階段が現存天守閣並みに急勾配な箇所があって驚かされるが、従業員の方から設計者が城の修繕にも関わっていた宮大工と聞かされてその共通点に納得してしまった。