8月4日福島日帰り城廻・その3【平城】(福島県いわき市)2013年08月07日 23時31分08秒

白河を散策した後は郡山経由でいわきへと移動したが、この日ちょうど宮城県沖を震源とするM6クラスの地震に遭遇し、郡山付近でしばらく立ち往生する羽目になった。なんとか無事にいわきに到着した後は、磐城平城跡へと立ち寄った。


いわき平城塗師櫓跡
磐城平城の塗師櫓跡石垣は震災で一度崩れており、上部の1mほどの石垣は撤去されて無くなっている。このあたりは前回訪れた時から何も進展していないが、いわき市の復旧計画がさっぱり判らないので、白河市よりも少々不安がある。


龍が城美術館
本丸跡の龍が城美術館にも立ち寄ろうとしたが残念ながら休館状態だった。本来の休館日は月曜日なので、やはりまだ復旧していないのだろうか・・・。


平城中門跡の石垣
中門跡石垣の上に登る階段は前回よりも厳重に封鎖されており、どうやらこのまましばらくは放置状態になるようだ。


平城中門跡
ちなみに前回訪れた時と大きく変わっていた箇所があり、中門跡の西側にあった駐車場の位置に新たにアパートが建設されていた。ちなみに駐車場があった頃は、いわき市の本丸跡から市街地を見渡せる数少ないスポットだった。なお、駐車場はどうやら中門跡の東側に移動したようで、画像中央奥のようになっていた。


放射線計測器
変化と言えば丹後沢公園の放射線測定器の値も、以前訪れた時の0.221の値から少しだけ下がっていた。

7月14日三連休三陸遠征・その5【船越御所】(岩手県山田町)2013年07月20日 23時49分48秒

宮古市街に戻った後は、朝来た道を戻って南下し、山田町の船越半島付け根にある船越御所跡を訪れた。船越御所は宇津峰城を落とされて奥羽を転戦していた北畠氏が落ち延びた場所で、ここにしばらく滞在した後に浪岡へと向かったとされている。

船越御所と海岸
画像は田の浜方面から海岸越しに見た船越御所跡。海岸が目と鼻の先にある丘陵の上に築かれており、震災時に津波で丘の斜面が洗われた跡が残っている。画像右側にはその時に破壊された堤防が今もそのままになっていた。


堤防から船越御所南端の神社を見る
画像は堤防の上から船越御所の南端部を見た景色。手前は堤防の手すりで、津波で折れ曲がったものだろう。丘陵南端には神社があり、社殿には全く被害が無いが、斜面の中腹あたりから下には爪跡が残っているので、当時どこまで水没したかがよく判る。


破壊された階段
神社に登る場所にはコンクリートの階段があったが、途中が破壊されて完全に消失していた。一応、登れそうだったので社殿のある場所まで登ったが、足場が無くて滑りそうだったり、棘の生えた草があったりと微妙に大変だった。


船越御所内部は・・・
社殿のある場所まで登った後は、船越御所の内部へと突入しようと思ったが、思いのほか笹藪が厚くて入れなかった。神社のある場所以外は斜面が急な上にやはり藪があり、どこから突入しても大変なため、内部に関しては今回は諦めることにした。

7月13日三連休三陸遠征・その1【奇跡の一本松ほか】(岩手県陸前高田市)2013年07月16日 23時58分08秒

7月の三連休は三陸地方へと出かけて来た。春先に釜石方面を訪れた時に、もう少し時間をかけて沿岸部を移動したかった思いから、今回の目的地となった。

高田松原跡
天候が優れない中、気仙沼からBRTに乗って陸前高田へと入った。BRTとは謳っているがこの区間は一般道を走っているため、ただの代替バスである。7月13日から『奇跡の一本松駅』が出来たので、さっそくそこで降りて一本松方面へと向かった。画像は高田松原の跡で、海側では堤防の工事中で、内陸側では嵩上げのような丘が出来ている。


奇跡の一本松
奇跡の一本松自体は塩害で枯死してしまったが、現在はその跡にモニュメント?の一本松が立てられている。すっかり陸前高田のシンボルになってしまったせいで、この日もかなり多くの観光客っぽい人々がここを訪れていた。


気仙川の水門と二日市館
一本松付近から気仙川の水門が見えるが、水門の後ろに見える丘は長部千葉氏の居城の二日市館である。時間と天候が良ければ寄りたかったが、今回は残念ながらパスした。


湿地帯となった水田跡?
高田松原跡から旧高田市街地方面へと向かうが、かつての水田跡は湿地帯のようになっていた。だが、中世の陸前高田は案外このような風景だったのではないだろうか・・・。


陸前高田の駅前ストリート跡
とりあえず、陸前高田駅前まで辿り着いたが、駅前通りはごらんの通り道路しか残っていない。正面突き当たり見える丘は高田千葉氏と浜田千葉氏の居城となった高田城である。


陸前高田の駅前ストリート跡(逆から)
画像は高田城の麓付近から駅前通りを見た風景。道路の先には陸前高田駅があった。画像左奥に前述の水門が見えるが、その手前辺りに一本松がある。

10月8日福島県南部の城址確認・その2(福島県いわき市)2012年10月14日 23時01分24秒

棚倉城を散策した後は郡山に移動して昼食をとったが、せっかくなので帰る前にいわきに寄って平城を見ていくことにした。


磐城平城塗師櫓台の石垣
前回来た時は崩れた石垣で道が通行止めだった塗師櫓の櫓台だが、崩れた石垣が取り除かれてすっきりしていたものの、残った石垣は上の方が欠けて痛々しい状態になっていた。過去の写真と比べて見ると大体上の1mほどが無くなっているようなのだが、修復されるのはいつになるのだろうか。


磐城平城中門の石垣
中門の石垣はほぼ前回と同じ崩れたままの状態で、変化があった部分は画像に写っているように土嚢が積まれていることくらいだった。しかし、丹後沢に続く道は通れるようになっており、ここから階段を通って降りることが出来た。


丹後沢の補強
丹後沢は前回見た時は住宅地側の地面が沼に向かって少しずり落ちているのが判ったが、今回はずり落ちた部分の沼側が少し埋め立てられていた。たぶん補強のためだろうが、そもそも立地に無理があるような気もする。


放射線測定器?
丹後沢公園で見かけた時は初めは太陽電池の時計かと思ったが、近くに寄ってみると何やら単位が・・・。毎時マイクロシーベルトなので放射線の測定器のようだが、この手の装置は役場等にあると思っていたので、こんな場所にあることに少し驚かされた。値には0.221と出ていたが素人が見ても高いのか低いのかさっぱりである。

10月8日福島県南部の城址確認・その1(福島県棚倉町)2012年10月13日 23時15分07秒

三連休最終日は見逃していた震災城址があったので、福島県南部の棚倉町へと出かけて来た。目指すはは棚倉城跡の二の丸石垣である。


棚倉城お石垣
棚倉城は二の丸西側の部分に160mに渡る石垣が残っているのですが、東日本大震災ではこの石垣が崩れたという。ただ、現地に行って見たものの、崩れた部分が何処なのか結局判らなかった。もう1年半以上経っているので修復された後かもしれないが、微妙に草が茂って見えない箇所もあるので判断が付かない。何せこの石垣があるのが断崖の上で、しかも私有地なので遠くから望遠で確認するしかないのである。


棚倉城本丸跡
石垣を見た後は城の本丸跡へ向かった。何年か前の桜まつり以来の訪城になると思うが、久しぶりに来たら本丸跡にあった2階建ての公民館が無くなっていた。以前は画像の右奥に建っていたのだが、今は中央に見える図書館だけとなっていた。ただ、おかげで少し本丸が広くなった感じがした。