8月18日帰省Uターン寄道・その2【中村城】(福島県相馬市)2013年08月21日 23時51分13秒

山形散策後、仙台経由で南下して福島県の相馬市へと入った。浜通りは交通網が色々な理由で寸断されている関係で、今までなかなか訪れることが出来なかったが、相馬市の中村城も震災後の状態を確認したかった場所だけに思い切って今回立ち寄ることにした。


東三の丸の水掘
画像は中村城東三の丸の水堀で、右奥に見える建物は建設中の市民会館。建設前の発掘調査では中堀跡の胴木や石垣が発見されており、遺構の保存か破壊かで意見が割れたと以前ニュースにあったが、どういう結論になったのかはよく判らない。検索する限りでは「一部保存」という話が出てきたが、現場を見る限りでは堀跡の上に会館が建っているようなので堀は潰して、発掘で出てきた遺物を野外展示でもするのだろうか・・・。


中村城大手一の門
画像は中村城の外大手一の門で、城跡に残る唯一の貴重な建造物。震災の影響があったという話も聞いたが、今見る限りでは特におかしな箇所は見られなかった。2年経っているので既に補修されたのだろうか・・・?


放射線測定器
大手から入って二の丸へと移動すると、なにやら福島県ではよく見る物体がここにもあった。とりあえず、今月の頭にいわき市の平城で見たものよりは値が少し高いようだ。


中村城本丸内掘跡
記憶があやふやであるが、確か昔ここを訪れた時は本丸内掘跡南側には公園の遊具や花壇のようなものがあった気がしていたが、久々に訪れたらただの空き地となっていた。


石垣崩落箇所
本丸の斜面には鉢巻石垣が3段ほどに分けて構築されているが、大手側赤橋付近の石垣が崩れて下の堀跡の部分に落ちていた。ここの被害の話は噂に聞いていた通りで、崩れた石垣も放置状態だったので、当分対処されることは無さそうである。


搦め手竪堀
本丸搦め手側も石垣の石が少し落ちたらしいが、こちらは既にどこが落ちたのかも判らないほどの状態に戻されていた。余談になるが、相馬中村城の中ではこの搦め手の岩盤を繰り抜いた竪堀とそこに架けられた橋が個人的にお気に入りである。今でこそ頑丈な橋が架かっているが、当時は戦になったら即撤去できるような構造の木橋が架けられていた場所である。


崩れた石碑
城跡を散策する限りでは一部の灯篭や石碑などの石で出来た構造物が震災で崩れたまま今も放置状態となっていた。


中村城の馬
城跡にある中村神社の参道にはおもむろに馬が繋がれていた。かなり小柄な馬だが、こういう品種(ポニー?)なのかそれとも子馬なのかはよく判らない。


中村神社
中村神社はいわゆる千葉氏の信仰ではお馴染みの妙見社のことで、相馬氏が千葉氏の一族であることがよく判る神社である。本殿は西舘の郭の土塁と同じ高さの場所にあり、登ってみると周辺が空堀で切断されているのがよく判る。