8月25日奥羽古城散策更新2013年08月25日 17時55分37秒

奥羽古城散策
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今回は2011年以降に訪れた宮城県の城の中から4城を追加。同期間に訪れた岩出山城と涌谷城は、現状に対しての不確定要素がいくつかあったため今回は保留。

石巻城は葛西氏の居城として少しは知名度があるが、遺構としては郭跡くらいしかハッキリ確認できるものが無い。一応、神社の近くの斜面に堀の跡がある。北に土塁のようなものもあるが、これは土地開発時の削り残しらしい。施政者の居城らしく眺めは絶景なので、ここからは城下の復興の様子が手に取るように判る。

寺池城もまた葛西氏の居城として歴史に名が出てくるが、こちらも遺構は郭と井戸の跡が判る程度で、城門っぽいものや石垣っぽいものは遺構とは関係無い模擬の建造物である。それでも、城下には武家屋敷が残されており、他にも様々な年代の歴史建造物があって街が一つの歴史テーマパークのようになっているのは面白い。

佐沼城は葛西大崎一揆のハイライトとなった場所で、公園となっている本丸跡に土塁と堀、それと井戸が残ってる。城址内に歴史資料館と旧亘理邸の屋敷もあるため、関連施設が散策し易いのはありがたい。公園は桜の木が植えられているため、訪れるとしたら春が綺麗で良いかもしれない。

角田城は藩政時代も使用された伊達家の要害だが、現状は学校の敷地や住宅地となっているため、散策できるスペースはあまり無い。一応、学校の東の入口?辺りに城についての説明板が設置されている。遺構としては水堀のあった場所を今も水路が流れているくらいで、後は少し離れた街中にある資料館に移築されている城門が見所である。

今回はトップ画像を小峰城の二の丸跡に咲いていた百日紅の木に変更。真夏のど真ん中に花を咲かせているので結構目立つのですが、名前の通り花は月を跨いで長く咲き続けるらしい。

6月22日奥羽古城散策更新2013年06月22日 05時45分12秒

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今回は2013年に訪れた城の中から福島県の仙道(中通り)の5城を追加。

梁川城は伊達氏の居城の一つで、以前から訪れたかった場所だが今年の春先が初訪城となった。例に漏れず、梁川城も街に埋もれてしまっており、大部分が学校の敷地と住宅地になっていたが、思いのほか立派な遺構が見られたので訪れて損は無い場所であった。中でも本丸跡の庭園と北の郭跡の枡型と土塁と堀は見事であった。

高子館は伊達氏の始まりの城であるが、ぶっちゃけて言うとあまりパッとしないただの丘である。まぁ、実際に古文書の中でもここからすぐに居城を移して居るので使用された期間はかなり短い。伊達氏が勧請した八幡神社と頂上の岩場からの眺めが見所だろうか・・・。

長沼城は桜の名所としても有名な場所だが、今年の桜は春の雪などの異常気象もあってか咲具合が微妙だった。城は境目の城として地味に蘆名氏と二階堂氏、上杉氏等に大事にされているので、遺構も石垣に土塁から堀まで色々見られる。遺構は見事だが、城跡の西側が雑木林と藪になっているのと、埋められている箇所があるのが少々残念なところ。

横田陣屋はぶっちゃけ私有地なので遺構のほどは堀跡っぽいもの以外はさっぱり確認できなかった。溝口氏お手植えと伝わる『御殿桜』という名の枝垂れ桜の名所でもあるので、春先はかなりカメラマンが多かった。桜の時期ならおススメと言えるが、それ以外の時期なら微妙かもしれない。

棚倉城は確か3回ほど訪れているが、久しぶりに今年の春先に訪れた時は本丸跡の公民館が無くなっていた。あと、北の番所跡に小さな公園が出来ていたり、二の丸の南側に駐車場が出来ていたり、二の丸の大手側が綺麗になってたりと微妙に変化が見られた。311の大震災で石垣が崩れたと聞いていたが、もう修繕が終わったのか崩れた箇所が確認できなかったので、特に注意書は加えていない。

5月24日奥羽古城散策更新2013年05月24日 21時54分21秒

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今回は2013年に訪れた城の中から奥羽以外の地域の4城を追加。

坂田城は梅林が目当てで訪れた城跡だが、肝心の梅林は時期が悪かったのか咲き具合がイマイチで、想像よりも梅の木が少なかったのもちょっと残念だった。しかし、城跡は広大で舌状台地を分断するようにめぐらされた空堀や土塁も見事なものだった。特に相横矢構造には感嘆させられるものがあり、土豪の中世城郭と侮っていたのが恥ずかしくなるほどだった。

浜松城は徳川家康の居城として有名な城だけに期待していたが、雨に祟られてしまい満足に見てまわることが出来なかった。天守閣は模擬建造物なため展望台兼資料館という観光施設でしかなかったが、地階にあった内井戸に関しては興味を惹かれるものがあった。現在は天守門の復元工事を行っており、本丸半分と大手側が通行できないので注意が必要。

岩殿山城は山頂に登ったのが9年前で、今年は花粉の時期に登ってしまったため、薬を飲んでいたにも関わらず発作が出てしまい途中で断念せざる得なかった。なので、山頂については2004年の時の話になっているため、もしかすると今は昔と違っているのかもしれない。巨岩の山容には圧倒されるものがあるが、山道は整備されているので、山城としてはかなり登り易い部類だと思う。

井川城については十数年ぶりに訪れたが、現場は看板が新しくなっていたくらいしか変わり映えはしていなかった。以前も城跡の畑の周辺を住宅地が取り囲むような状態だったが、それは今も変わらずで、城跡への案内板も所々にあったので宅地化しないよう保護されているのかもしれない。肝心の城跡の遺構は塚のような櫓台跡だけなのであまり万人におススメできる場所ではないかもしれない。それなりのマニアなら川が城跡を取り囲んでいることなど想像で楽しめる部分はある。

今回は上記の城と同時期に訪れた甲府城と松本城も説明などを更新した。甲府城はせっかくなので画像も復元されたばかりの鉄門に変更している。松本城については大手門跡の発掘した一画が空き地になっていたので、今後の整備に興味をそそられるものがある。

5月15日奥羽古城散策更新2013年05月15日 23時42分12秒

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今回は2012年に訪れた城の中から晩秋に訪れた青森県の城をチョイスして2城を登録した。

楢館は過去に1度バイパス工事の影響で城跡の位置を誤って辿り着けなかったことがあり、去年の2度目の訪城でやっと城跡を見ることが出来た場所である。城跡は台地から続く突端にあって特徴的な立地だが、基本的に単郭に近い小領主の居館だった。訪れた時はまだ城跡まで道路工事本体は到達していなかったため、近い将来にはこの付近の風景は変わっている可能性がある。

源常館は舌状台地にあり、浪岡の観光MAPにも載っている「源常林の大銀杏」があるため場所は判り易いかもしれない。見所は台地を横切る空堀だが、個人的には離れ小島みたいな丘の御廟館の役割が気になるところ・・・。

上記の2つと共に訪れた風張館や折曾関は今回は保留。風張館は日没で画像暗い上にブレており、時間切れで堀の一部しか見れなかったための断念。折曾関はそもそも攻城側の陣地と伝わる陣ヶ森しか見れておらず、関の中心部である古館には立ち入ることも出来なかったため、遺跡を訪れた実感が無いので断念した。折曾関は再訪は難しいが風張館はいずれ再訪城したいところである。

なお、今回はトップ画像も花巻城の桜に変更した。本当は3~4月頃に変更する予定だったが、桜前線と天候ばっか気にしていたためすっかり忘れていた。まぁ、5月半ばで桜というのもどうかと思ったが、1年に一度トップに桜を出さないと春を飛ばした感じになるので御覧の体たらくとなった。

4月2日奥羽古城散策更新2013年04月02日 22時21分55秒

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今回は2012年に訪れた城の中から岩手県の城をチョイスして4城を登録した。

岩谷堂城は伊達21要害の一つで、土塁や堀などの遺構が良く残る公園となっており、本丸には沢山の紫陽花が植えられていたので次に訪れる時は初夏を選んで行きたいところ。本丸には銀杏の巨木もあるが、周囲に高い針葉樹が多いため景色としては少々見難い。縄張り図に載っている石垣の大手門跡は、枡型の形と水堀の片側は辛うじて残っているものの石垣は撤去されたようで残っていない。

掻引城は唐梅館とセットとなっている城で、山城における根小屋に該当する。城跡は方形の小高い丘で、単郭方形の武士の居舘の流れを汲んでいるのがよく判る。それだけに周囲が宅地工事で削られているのが残念でならない。

大原城は北上山地の中に拓けた大原の街を見下ろす丘の上にあり、本丸と二の丸は草地で高い木々が無いため眺めは良い。特に目の前に見える室根山がなかなか印象的だった。本丸には銀杏の巨木だけが鎮座しているため、麓からでも目立っている。

新山城は雨で濡れていたため、山林の奥まで行けなかったのが心残りとなったが、頂上には想像していたよりもしっかりとした平場が広がっていたのには驚かされた。八幡神社の裏の山道から比較的簡単に南郭にアクセスできるが、稲荷神社の隣に出雲神社への参道があり、そこから参道を登ると北側の郭にも簡単にアクセスできる。