11月24日九州紅葉の旅・その6(福岡県久留米市)【久留米城】2014年12月06日 18時14分01秒

人吉から球磨川に沿って八代に出て熊本に向かい、熊本城の大銀杏を見に行こうと思っていたが、熊本は過去に2度来ている上に将来的にまた来る可能性も高いため、今回はパスすることにした。

熊本から北上して福岡県に入り、その道中で久留米に立ち寄った。ちょうど久留米城が紅葉の見頃だという情報を掴んだためである。


久留米城二の丸跡
失礼ながら久留米と言えばラーメンとのイメージしか無かったが、久留米城に向かう道中でここがブリジストンの城下町であることを思い知らされた。画像は久留米城の二の丸跡であるが、車道以外は全てブリジストンの敷地だった。ちなみに大通りにも「ブリジストン通り」なる愛称が付けられており、街路樹が紅葉してなかなか秋らしい趣ある通りであった。


内掘と石垣
二の丸跡は完全に街に埋もれていたが、本丸跡は比較的よく遺構が残っており、石垣や内掘の一部を見ることが出来た。駅から来るときは平地かと思っていたが、二の丸から本丸は丘の上にあるらしく、本丸の南を除く三方の石垣は思ったよりも高かった。


篠山神社
本丸跡内部には建物は残っておらず、今は篠山神社の境内となっていた。なお、城内の一画には旧久留米藩主の有馬氏関連の展示がある有馬記念館もある。


本丸の紅葉
本丸跡は確かに紅葉の見頃となっており、赤い椛や黄色い銀杏などが綺麗で良かった。


本丸御殿跡
本丸跡の建物があった場所には説明が書かれた石版が設置してあり、画像は本丸の中枢である御殿があった場所の跡。こうしてみると奥の紅葉が綺麗な一帯はまるで御殿の庭園のようにも見える。


月見櫓跡の紅葉
個人的に景色が良かったのは月見櫓跡で、ここからは久留米大のグランドが一望できた。なお、さすがに高さが無いため城下町を一望できる場所は無かった。画像は月見櫓跡で見た綺麗な紅葉。

9月7日山形旅行・その1【小松城】(山形県川西町)2014年09月10日 03時11分04秒

週末に山形方面へと出かけて来た。本当は6日の昼には山形県に入っている予定だったが、出発が遅れたことと、途中の宇都宮と福島に寄道したことで、結局米沢に着いたのは夜になってしまった。

翌日は朝から川西町へと出かけた。目的は実は「川西ダリヤ園」なのだが、開園の9時まではまだ時間があるため、川西町にある小松城跡へと立ち寄った。小松城は鎌倉時代からの古い館城だが、長井氏が置賜領主の時代の城主は不明で、伊達氏が置賜領主の時代に家臣の大町氏、桑折氏、牧野氏が居城としていた。


小松城の土塁
街の平野部にある城跡なのであまり期待していなかったが、訪れてさっそく立派な土塁を見ることが出来たのには驚かされた。


小松城跡城内
土塁に囲まれた内部が主郭跡で、今は新山公園(大半がゲートボールコート)となっている。公園が出来る前は学校があったそうで、校門跡が今も残っていた。


堀跡?
公園から西に向かって新山神社の参道があり、鳥居を越えた先には堀跡と思われる遺構があった。ちょうど参道は土橋のようなので、新山神社側は副郭(西出丸?)だったと思われる。


新山神社
新山神社は特に由緒書き等は無かったので歴史のほどは不明。神社の境内と郭跡が合っておらず北半分にデットスペースが出来ているので、廃城後に勧請されたものだろうか。

7月16日四国遠征・その2【琴弾公園】【観音寺城】(香川県観音寺市)2014年07月22日 01時26分17秒

高松で昼食を食べた後、特急で川之江を目指して移動したが、途中で居眠りしてしまい勘違いして一歩手前の観音寺駅で降りてしまうミスをしてしまった。さすがに次の便を待つのも時間が勿体無いので、この機会に観音寺の名所に向かうことにしたが、ちょうどいいことに時代劇で見たことがある名所があった。


銭形砂絵
琴弾公園隣の丘陵に登り銭形展望台へと行くと、そこからは「寛永通宝」と書かれた見事な砂絵を望むことが出来た。なんでも江戸時代に領民が領主の巡検を歓迎するために一夜で造ったのが始まりだという。写真を撮ってから気付いたが、この砂絵は正午付近に撮ると影が無いため非常に見難いことが判った。


琴弾八幡宮
展望台のある丘陵の最も高い場所に琴弾八幡宮があったので、せっかくなので参拝に立ち寄った。ちなみにここは源平合戦の屋島の戦いの際に、源義経家臣の伊勢三郎が平家方の田口教能を源氏に降るよう説得した場所だという。


琴弾八幡宮麓の鳥居
画像は丘の麓にある八幡宮の鳥居で、ここから前述の拝殿まで続く階段はかなり長かった。途中には沢山の脇社があったが、さすがにそれら全てに立ち寄る余裕は無かった。


謎の石
八幡宮鳥居から少し離れた池?にある謎の石。注連縄が張られていることから何かの言い伝えがあるはずだが、周囲には特に説明板などは見つからなかった。


観音寺城跡
観光案内所で貰った地図に「観音寺城跡」と書かれていたので、ついでにそこにも立ち寄ったが、ごらんの通りのただの公園で周囲は散策してみても住宅地しか無かった。城址碑はこの公園の入口にあったが、特に説明等は書かれていなかった。一応、後から軽く調べた感じではここは香川景全の居城だった場所で、公園のある場所は堀跡だったようだ。


一心寺と移築城門
観音寺城唯一の遺構とされているのが、一心寺に移築された城門で、寺を訪れて見たところ石版にそのことが記されていた。城門としては少し小さい気がするが、搦め手ならこんなもんかもしれないし、移築の際に形状が変わっているかもしれないので、なんとも判断し難い。

6月27日岩手遠征二日目【五日市館】(岩手県八幡平市)2014年07月04日 00時38分45秒

今回の旅では新安比温泉にお世話になり、翌日は宿から街に向かう道中にある博物館へとまず立ち寄った。

八幡平市博物館
「八幡平市博物館」は旧安比町の博物館で、展示内容ではこの地出身で寛永寺の僧主となった孝順大僧正や、この地の産業を支えた山師、塗師などの資料がなかなか興味深いものだった。二階の現存史跡の写真は鹿角街道に纏わるものが多く、気になるものもあったが今回の旅では時間等の都合でいずれの史跡にも立ち寄ることは無かった。


里城公園
博物館を出た後は国道を北上して五日市の集落へと向かったが、ここは浄法寺街道が鹿角街道に合流する手前の宿場町だった場所で、中世には浄法寺氏家臣の五日市左近(青澤左近)が治める城下町であった。画像は五日市氏の居城の五日市館の南麓にある里城公園。


五日市館南部の断崖
里城公園から見た城は断崖となっているが、実は昭和43年の十勝沖地震で大崩落した跡であり、この時に直下の空堀と土塁も失われたという。画像は公園側の車道から城跡の断崖を見上げた図であり、よく見ると木が宙吊りになっていていつ落ちてきてもおかしくない状態だった。


五日市館主郭入り口
主郭への入口は集落がある城跡西側にあり、ここに立派な標柱が立てられている。ちなみに城跡の説明板は里城公園にあった。


八幡神社
主郭の西端には八幡神社が祀られており、摂社のように蒼前神社の社もあったが、蒼前神社は元は副郭の西隣にあったらしい。余談になるが空掘の外側に設けられていた土塁跡の上には神明社と薬師も祀られていた。


五日市館主郭内部
主郭内部は大部分が畑になっており、ちょうど農作業をしている方が居たので話を聞いたが、丘の上は神社と畑以外に是といったものは無いそうだった。なお、郭内はけっこう広く、微妙に高低差があったので複数の区画に仕切られていた可能性もある。


郭より堀底を覗く
この城で最も特徴的な遺構が丘の上の郭を囲んでいたという空堀で、堀の外側に丘の削り残しから造ったと思われる大きな土塁がセットで設けられている。画像は非常にわかり辛いが、主郭から堀底を覗いた光景で、一郷主が造ったとは思えないくらい深く幅も広い空堀だった。


堀底を通る車道
画像は現在車道が通っている堀底で、右に見える斜面の上が主郭、正面に見える丘が副郭、左の畑の外側に見えるのが土塁である。副郭も主郭同様に空堀が周囲を囲んでいるが、斜面は急で内部は雑木林だったので詳しくは確認していない。

3月22日御伊勢参り・内宮編(三重県伊勢市)2014年04月11日 02時43分33秒

外宮の参拝を終えた後は、外宮前からバスに乗り、4kmほど離れた場所にある内宮の参拝に向かった。内宮は宇治橋の前まで門前町が参道沿いに伸びているが、こちらは外宮の門前と違って移動に支障をきたすほど大勢の人でごった返していた。

伊勢神宮内宮御正殿
五十鈴川を渡り、参道に沿ってひたすら杜の中を進むと、やがて左手の丘の上に内宮の御正殿が見えてきた。こちらも新しい社が立派で良かったが、撮影は石段のあたりまでしか許可されていないので注意が必要である。


伊勢神宮の石垣
御正殿の丘をよく見るとかなり大きな巨岩で石垣が組まれていた。式年遷宮は7世紀から行われていたと聞くが、もしその頃と場所が変わっていないのであれば、大昔の人がこの巨岩の石垣を組んだということになるため、なかなか興味深いものがある。


荒祭宮
なんだかデジャヴを感じる画像だが、決して使いまわしではない。こちらは内宮の境内にある別宮の一つで、荒魂を祭る荒祭宮である。こちらも遷宮しており、元の社殿のあった場所は空き地になり、その隣に新しい社が出来ていた。

最終日は時間があれば色々行きたかったが、結局神宮の参拝に半日費やし、そのまま関東への帰途につくことになった。