7月16日四国遠征・その3【川之江城】(愛媛県四国中央市)2014年07月24日 02時57分33秒

予定外の寄道となった観音寺からなんとか移動した後は、愛媛県入りして川之江へと立ち寄った。目的地は海沿いの山の上に見える模擬天守閣が印象的な川之江城である。中世に土肥義昌が山の上にあった仏殿を利用して城にしたため仏殿城と呼ばれ、現在の四国中央市の名からも判るとおり交通の要衝にあったため、なんども戦場となった城であった。


川之江城三の丸跡
東麓の城址公園入口より登り、まずは三の丸を目指したが、登る道中で腰郭跡が多く確認できた。三の丸は山の北側頂上にあってそこそこの広さがあり、慰霊碑と遊具や鳥籠?があるよくある形の公園だが、木々のおかげでここからの眺めは悪かった。


模擬城門
三の丸から鞍部を通って南に行くと駐車場があり、そこから登った場所が二の丸であるが、やけに立派な石垣があちこちに見られるばかりでなく、無駄に本格的すぎる模擬城門がそこにあったことに驚かされた。模擬城門は大抵は胡散臭さ満載の造りになっているものだが、この城門に関しては無駄に本物っぽく造られているのである。


模擬枡型
模擬城門の内側は枡型にもなっており、一般人なら騙されそうなくらい本格的な造りである。念のため後から確認もしてみたが、やはりこれらは現代の人間により造られた模擬建造物で、史跡とは関係の無いものであった。


模擬天守閣
城門を抜けて本丸へと入ると、そこにはどこかデジャブを感じる模擬天守閣が建っていた。内部は資料館となっているのだが、思いの他この城に関する情報は無かったのが残念だった。


模擬天守から見た城下
それでも最上階からの眺めは良く、城下や瀬戸内海が一望できた。画像は内陸側の城下の景色で、海側は残念ながら雲に覆われて綺麗に見えなかった。


現存石垣?
模擬建造物のテーマパーク状態の川之江城であるが、古い絵図などに石垣があったことが記載されており、時代背景的に野面積みの石垣だったと思われる。画像は天守台の下の方の石垣で、模擬石垣が打ち込み接ぎなのに対してここだけ野面積みなため、これが現存石垣の遺構かと思われる。


現存石垣2?
東側の中腹の石垣も野面積みのためこれも現存石垣かなと思うが、正直なところよく判らない。

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