4月13日奥州桜と城址の旅・その1【角田城】(宮城県角田市)2013年04月15日 23時34分02秒

奥州でも満開の桜が見られる時期となったので、週末は南奥へと出かけて来た。当初は船岡を目指して移動していたが、着いてみるとまだ五分咲き程度でちょっと物足りない感じだったので、近くの角田市へと移動した。目的地は台山公園と角田城跡の2箇所である。

長泉寺
台山公園の近くには角田城主の石川家の菩提寺でもあった長泉寺があり、ここには臥牛門という移築城門があったようだが、現在はどうなのかよくわからなかった。画像に見える門は入山門と書かれており、特に説明板なども無かったので臥牛門とは違うようだ。


台山公園の桜
台山公園にはH-2ロケットの実物大模型があり、ロケット同じ高さの展望台があるスペースタワーがある。この公園は桜の名所でもあり、ちょうど桜が満開で綺麗だった。


石川家廟所
ちなみにこの台山公園は石川家の廟所でもあり、台山廟の隣にロケットが立っている景色はなかなか奇妙なものだった。


角田城大手門跡
台山公園の南に隣接している一帯が角田城跡で、今は大部分が学校の敷地になっており、本丸跡には高校、二の丸跡はグランドと中学校が建っていた。画像は学校敷地への入口で、ここがちょうど大手門跡でもある。ちなみに手前は橋で、水堀の名残の水路が流れている。


角田城本丸跡の桜
丘となっている本丸跡は学校内のため遠巻きに見ることしかできなかったが、ここもまた桜が満開で綺麗だった。ちなみに丘の南の馬場跡は堀跡も含めて全て住宅地と化していた。


角田市郷土資料館
城跡を散策した後は街中の郷土資料館に立ち寄ったが、残念ながらこの日は「休館日」だった。ちなみに正面の門は角田城本丸からの移築門である。

4月13日奥州桜と城址の旅・その2【梁川城】(福島県伊達市)2013年04月16日 22時32分13秒

角田市を出た後は南下して福島県へと入り伊達市の梁川へと向かった。目的地は梁川城址と、桜の名所の「やながわ希望の森公園」の2箇所である。


SL線路沿いの桜
阿武隈急行の「やながわ希望の森公園駅」から公園までは実際はかなり離れており、この区間はミニSLの鉄道路線によって結ばれている。公園に行きたいのは山々だったが、思った以上に時間がかかりそうだったため、今回は公園は諦めることにした。画像はSL路線沿いの満開の桜並木。


やながわ希望の森公園(遠景)
画像は駅の南にある丘の上から「やながわ希望の森公園」方面を見た景色。中央奥の山が公園で、遠目にはまだ桜が7分咲き程度に見える。


お林の里
駅南の丘の上には江戸時代の民家を移築した「お林の里」があり、養蚕農家の家などを見ることが出来たが、建物群としては少し物足りない感じがした。


お林の里の展望台の桜
「お林の里」の側には展望台があり、ここの周辺の桜もほぼ満開で綺麗だった。


お林の里の展望台からの景色
展望台から梁川の街が一望でき、眺めはなかなか良かった。画像中央の麓の大きな建物が見えている付近が梁川城の跡。


梁川城土塁
梁川城は丘と地続きになっているため、南側には大きな堀が設けられていたが、現在は学校の敷地になって大部分が埋められてしまっている。画像は二の丸跡にある梁川高校の敷地に残る土塁で、土塁の外側に堀の跡がわずかに残っていた。なお、堀の一部には阿武隈急行の線路が通っていた。


梁川城浅間神社
城跡の中心部は学校が密集しているが、本丸の付近には築城時に伊達氏が勧請した浅間神社が残されていた。ただ、当時は浅間神社は本丸の内側を向いていたが、廃城後に学校が出来ると向きが変えられ、参道は本丸の外に変更されたという。なお、心字池は本丸跡にあるが、学校の正門よりも浅間神社から入ったほうが近い。


梁川城心字池
本丸跡の一番の遺構は画像の心字池で、池の傍の桜も満開だったため、なかなか見事な景色だった。なお、池の背後の土塁には石垣もあり、そこには櫓があったとされている。


梁川城本丸切岸
本丸はちょうど台地の端にあり、台地沿いの桜もなかなか綺麗だった。台地から低地に降りた場所は三の丸の跡で、その外側にさらに外郭が設けられていた。ただし、三の丸跡と外郭跡は梁川の街となって埋もれてしまっており、特に見所となるようなものは見つけられなかった。


梁川城の空堀
本丸跡から台地の北側に移動すると侍町と呼称されていた出丸のような一角があり、ここには見事な空堀と土塁が残されていた。出丸の中には枡型虎口があり、画像の中央あたりには虎口から外に続く橋が架かっていたようである。


梁川城枡型
出丸に残る枡型は形が判るほどハッキリ残っており、なかなか大きく見事な遺構だった。この枡型に連結する土塁もよく残っており、梁川城ではこの辺り一帯が最も遺構がよく残っていた。なお、郭内部は現在は団地となっている。

4月13日奥州桜と城址の旅・その3【高子館】(福島県伊達市)2013年04月17日 21時07分05秒

かつての伊達家の居城だった梁川城の跡を散策した後は、伊達家の始まりの地と伝わる高子へと移動した。目的地は伊達家の創業の居館である高子館(高子ヶ岡館)である。

高子ヶ岡
高子ヶ岡は丘陵地帯と平地の境界にある独立丘陵に近い丘で、周囲は今は果樹園などが広がっている。


高子ヶ岡の桜
丘の斜面には桃の木や梅の木が植えられており、ちょうど小さな花が綺麗に咲いていたが、良く見ると一本だけ満開の桜の木があった。


高子ヶ岡の八幡宮
丘の上の方は雑木林でその中に八幡神社があり、これが伊達氏が最初に勧請した八幡神社だという。丘の上で纏まった広さがあるのはこの場所になるが、屋敷を建てるには少々狭いので、居館は麓にあったのかもしれない。


丹露盤
八幡神社がある場所からさらに登った場所が頂上で、ここは「高子二十境」の一つの「丹露盤」と呼ばれる名勝地で、これは熊阪覇陵によって名付けられたものだという。


高子ヶ岡頂上からの景色
丘は実は岩で出来ており、このため頂上は断崖で端まで行くと足がすくんだが、ここからの眺めはなかなかの絶景だった。画像は丘から北側を見た景色。


高子ヶ岡館の郭?
丘にはあまり大きな平場が無いように見えたが、南西側に行くと中腹に比較的広い削平地があった。ただ、この先は建築業関係と思われる敷地となっており、近代になってから削平された場所かもしれない。

4月14日奥州桜と城址の旅・その4【長沼城】(福島県須賀川市)2013年04月18日 21時38分14秒

土曜日は阿武隈急行沿線から郡山まで移動して一泊し、翌日の日曜日には郡山市街から長沼まで移動した。長沼の桜はまだ時期的に早いと思ったが、今年はどこも桜の開花が早かったため、例年よりは咲いているんじゃないかという期待があったためである。


長沼城坂下口
長沼城は会津と白河の間にあり、蘆名氏の頃は会津から仙道へと抜ける場所の重要拠点だった。上杉氏の時代には白河口で徳川家康を迎撃する計画のために長沼城の守りが強化されており、石垣を用いた立派な城だったという。本丸より東側が今は公園として整備されており、桜の名所ともなっているのだが、画像の通りまだ早かったようで、3分~5分咲きといったところだった。


長沼城の枝垂桜
ただ、坂下口付近の枝垂桜はほぼ満開に近い状態で、この部分の桜だけは今が絶好の見頃といったところだった。ここだけでも十分報われた気分になったので、城跡を散策する足取りはかなり軽くなった。


長沼城稲荷郭
坂下口から坂を登ると稲荷郭へと辿り着くが、稲荷と言いつつ今は金比羅様の石碑が祀られていた。たぶん当時は今本丸にある稲荷神社がここにあったのだろう。


長沼城三の丸
稲荷郭から登った場所が三の丸で、そこそこ広い郭だが、画像とは逆の方向に給水施設があるため、本来の面積より狭くなっている。


長沼城三の丸と北帯郭の間
長沼古城図では三の丸から北と南の帯郭に移動できるように描かれているが、現状では北側に移動できる箇所は無くなっていた。地盤が抉られたようにも見えるので、年月を経て崩れてしまったのかもしれない。


長沼城本丸
三の丸からさらに登った頂上が本丸跡で、今は日高見稲荷神社が祀られていた。なお、郭の隅には東屋があり、長沼の街を見渡すことが出来た。


長沼城梅の花
本丸ではちょうど梅の花が満開となっており、地味にも綺麗な花を咲かせていた。


長沼城本丸西門跡
本丸跡には土塁が残されており、石垣の残骸もかなり沢山残っていた。画像は神社の本殿の裏側であるが、この場所には本来は本丸西門(詰門)があり、発掘画像ではハッキリと石垣で出来た虎口が確認できる。現在はごらんの通り埋め戻されているため、ここから二の丸に出ることは出来ない。なお、二の丸にも土塁や石垣の残骸が確認できたが、それより西側は雑木林や藪になっており、入山禁止になっているので今回は確認していない。


長沼城大手門跡付近
一度坂下口まで戻り、城跡を大きく北に迂回して大手口付近へと向かって見たが、大手口付近は画像のように畑や藪が広がっており、正確な位置を特定することが出来なかった。


長沼城三重堀跡
城跡の総構えは長沼の街となって民家が立ち並んでいるが、それでも東側の畑に出ると、3重になった惣堀の跡の一部がハッキリと確認できた。堀の中は今は畑になっており、堀と堀の間は土塁によって仕切られていた。廃城となった城は惣堀から真っ先に埋め立てられるため、三重の堀跡の形跡が残っているのは珍しいかもしれない。

4月14日奥州桜と城址の旅・その5【横田陣屋】(福島県須賀川市)2013年04月19日 23時59分07秒

長沼城を散策した後は、長沼と須賀川市街の中間らへんにある横田地区へと向かった。目当ては横田陣屋跡と御殿桜である。


横田陣屋跡
横田陣屋は新発田藩の溝口家の分家の溝口直行がこの地に移封されて建てた陣屋で、現在は民家の敷地と畑になっている。現状から見ると山裾に雛壇状の平場を形成して陣屋を建てたと思われ、南側にだけ堀の跡が見られた。


横田御殿桜
この陣屋跡の民家の敷地にあるのが「横田御殿桜」(画像左)で、陣屋の庭に植えられた桜が成長して今に残ったものだという。周囲には御殿桜以外にも見事な枝垂桜があり、ちょうど満開の花を咲かせて見事な春の景色を演出していた。


横田の枝垂桜2
御殿桜の次に目に付いたのが陣屋跡の西側の畑の中にある桜で、これもまた綺麗で華やかな枝垂桜だった。


護真寺の桜のトンネル
ちなみに陣屋跡の隣には護真寺があり、そこの枝垂桜も良かったが、何よりも寺の参道の桜のトンネルが素晴らしかった。


松山城
余談になるが陣屋跡から東に見える丘は二階堂氏の松山城跡。この日のうちにまだ行きたい場所があったため、残念ながら今回はスルーして立ち寄ってはいない。