3月23日御伊勢参りの道中で亀山城へ寄道(三重県亀山市)2014年04月06日 20時59分52秒

3月22日は名古屋でほとんど時間を取ってしまったが、23日も伊勢神宮に向かう前に是非とも寄りたかった場所があったので寄道をした。それは亀山城跡で、昨年に多聞櫓を以前の状態に修復する作業が終わったのを知っていたため、是非とも見ておきたかったからである。


外掘り越しに見た多聞櫓
亀山城といえば板張りの多聞櫓が出てくるが、それは廃城後の櫓再利用でそうなったらしく、幕末までは白漆喰の壁だったという。昨年の櫓の修復時にせっかくだからと当時の姿に戻したのが現在の姿で、画像は外掘り越しに現在の多聞櫓を見た様子。


多聞櫓からの景色
多聞櫓内部は今回始めて入ったが、ちょっとした資料の展示が行われており、先年に放火された時の焼け焦げた柱も展示されていた。画像は多聞櫓から見た景色。左奥に見えるのが1個目の写真にもある外掘で、角度はずれているが先の写真とは対の向きとなっている。


多聞櫓付近の石垣
そういえば数年前の地震で多聞櫓に近い場所の石垣が崩れたとあったが、その場所は画像奥のように土塁に変わっていた。どうも石垣が崩れた場所は近代に入ってからの改造で積まれたものと判り、そのため改造された箇所を元に戻して塁壁の延長にしたようである。それにしても、当時の石垣が無事で、近代の石垣が脆いとは皮肉なものである。


亀山城三の丸跡の石垣と標柱
多聞櫓周辺以外にも変わった場所が無いか散策してみたところ、三の丸大手門跡に近い場所に、以前通った時は無かったような見覚えの無い標柱を見つけた。説明文によると、どうやら足元にある石は大手門に使用されたと思われる石垣で、この周辺での工事で見つかったものだという。


加藤家長屋門
まだ見ていなかった場所に武家屋敷の加藤家があったのでそこにも行って見たが、生憎なことに内部は修復工事中だった。画像は外から見た加藤家長屋門で、予想していた武家屋敷よりも立派な門だった。


西ノ丸外掘
前回訪れた時も見た西ノ丸の外掘り跡だが、前回よりも周辺が整備されて看板も設置されていた。今更ながら周囲を見てみると、民家と民家の間にも外掘の跡が残っており、思いのほか遺構があることがよく判った。画像は整備された外掘跡で、画像とは真逆の方向にも堀跡(こっちは未整備)が見える。

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