9月7日山形旅行・その4【山形城】(山形県山形市)2014年09月18日 00時17分59秒

川西ダリヤ園を散策した後は置賜を抜け出して山形市へと向かった。目的地は山形城であるが、栄屋本店の冷やしラーメンが食べたくなって七日町まで移動して行列に並んだため、2時間ほど時間を浪費してしまった。山形城跡に着いたのはやや日が傾きかけた頃で、さっそく最近完成した一文字門目指して移動した。


山形城一文字門
本丸発掘後、一文字門は度々復元が行われていたが、最近土塀が出来て一応完成となった。厳密には櫓門(一文字門一の門)が復元されていないので完全な復元では無いが、櫓門は文献等の歴史資料が足りないため復元出来ないのだという。山形城は二の丸東大手門が復元されているが、あちらが内枡形なのに対してこちらは外枡形であり、対比してみると面白い。


山形城本丸井戸
昔は一文字門に入れてもその先の本丸には説明会の時しか入れなかったが、今は遊歩道が解禁されており、未だ発掘途中の本丸の様子も確認することが出来た。画像は本丸で発掘された井戸の跡。


山形城本丸西内堀
本丸跡内部を散策後、内掘跡の西側へと移動したが、以前発掘調査が行われていた堀の内部は草が覆い茂る窪地と化し、堀の外が新たに公園らしく整備されていた。そして堀の奥は新たに発掘が行われており、そこだけは土色の窪地となっていてなかなか面白い光景だった。

9月7日山形旅行・その2【原田城】(山形県川西町)2014年09月14日 01時12分05秒

小松城跡を散策した後は、そこから南西に向かった場所にある置賜公園へと向かった。公園は街に隣接する丘陵の上にあり、元は伊達家臣の原田氏が居城としていた原田城があった場所である。


置賜公園東口
置賜公園のある丘陵へは東口から登ったが、公園の案内は見当たらなかったため、初めは本当にここから入っていいのか戸惑った。


原田城本丸
丘陵の東端部はそこそこ広く、真斉の遺跡らしい五輪の塔があるのが印象的だった。後から調べたところ、真斉は空海の十弟子の一人で、町内にある大光院を開いた僧らしい。画像はその東端部の内部の風景で、当初はここが本丸かと思っていたが、どうやら二の丸らしい。


本丸と二の丸の間の堀切
東端部から西に行くと城跡の遺構とハッキリ判る堀切が残っており、そこに橋が架けられていた。草で判りづらいが、これでも深さは6mほどあるという。


原田城二の丸
堀切を渡った先の広い郭が本丸跡らしく、今は芝生が広がりステージのようなものが設置されていた。たぶんイベントなどで使用しているのだろう。


稲荷神社?
本丸の北側には恐らく稲荷神社と思われる社があり、参道は北麓に向かって延びていた。参道は草が茫々だったため、どうやら滅多に人は訪れない場所のようだった。ちなみに原田城址碑はこの鳥居の参道の近くにあった。


堀切
本丸と西側の丘との間にも堀切があり、草が邪魔で深さはさっぱり判らなかったが、原田城が典型的な連郭式の縄張りの城だというのがよく判った。なお、写真の逆側の堀切跡は公園の駐車場となって埋め立てられていた。

9月7日山形旅行・その1【小松城】(山形県川西町)2014年09月10日 03時11分04秒

週末に山形方面へと出かけて来た。本当は6日の昼には山形県に入っている予定だったが、出発が遅れたことと、途中の宇都宮と福島に寄道したことで、結局米沢に着いたのは夜になってしまった。

翌日は朝から川西町へと出かけた。目的は実は「川西ダリヤ園」なのだが、開園の9時まではまだ時間があるため、川西町にある小松城跡へと立ち寄った。小松城は鎌倉時代からの古い館城だが、長井氏が置賜領主の時代の城主は不明で、伊達氏が置賜領主の時代に家臣の大町氏、桑折氏、牧野氏が居城としていた。


小松城の土塁
街の平野部にある城跡なのであまり期待していなかったが、訪れてさっそく立派な土塁を見ることが出来たのには驚かされた。


小松城跡城内
土塁に囲まれた内部が主郭跡で、今は新山公園(大半がゲートボールコート)となっている。公園が出来る前は学校があったそうで、校門跡が今も残っていた。


堀跡?
公園から西に向かって新山神社の参道があり、鳥居を越えた先には堀跡と思われる遺構があった。ちょうど参道は土橋のようなので、新山神社側は副郭(西出丸?)だったと思われる。


新山神社
新山神社は特に由緒書き等は無かったので歴史のほどは不明。神社の境内と郭跡が合っておらず北半分にデットスペースが出来ているので、廃城後に勧請されたものだろうか。

7月28日静岡日帰り旅行・その3【駿府城】(静岡県静岡市)2014年08月05日 03時32分29秒

浜松城を散策後、帰り道の途中で駿府城にも立ち寄った。目当ては今年の4月から一般公開された坤櫓を見るためであるが、月曜日が休館日であるため今回は軽く散策するだけに終わった。


駿府城坤櫓
坤櫓は二の丸の南西隅の櫓で、同じく南東隅にある巽櫓よりは小さいがそれでも木造で復元された櫓としては大きい部類のため、なかなか見ごたえがある外観だった。比較対象に奥州の城を当ててみると、高さは小峰城の天守相当の三階櫓と同じ14mである。


二の丸大手門枡型
地味に二の丸大手門の枡型も復元されていたが、内側の石垣は1mほどの高さのみ石垣を積み、あくまでも形のみの復元に留まっていた。本来であればここの枡型から外掘を渡って三の丸へと出るのだが、現在は外掘に出る箇所が塞がれており、そのため枡型内は行き止まりの袋小路となっている。


天守台跡
画像手前は駿府城天守台跡で、なんの変哲もない平地だが発掘によると実はこの地下に天守台の石垣が眠っている。静岡市の整備計画ではこの天守台まで整備する予定のようだ。


シートに隠された謎の物体
天守台跡から北を見ると何やら大量の土盛が見えたので近寄って見たところ、それは土ではなく土色をしたビニールシートに覆われた「何か」だった。周辺に穴などを掘った形跡は無いので、外部からここに持ち込んだものと思われるが、いったい中身は何なのだろうか?

7月28日静岡日帰り旅行・その2【浜松城】(静岡県浜松市)2014年08月04日 05時38分47秒

曳馬城跡の散策後、浜松城の天守曲輪を目指して移動するが、史跡的にはすでに浜松城の城内のはずなのに歩くと思ったより距離があった。なお、目当ての天守門は今年の4月に一般公開されたばかりの城門で、浜松城内では初めて木造で復元された建造物である。

天守門外側
本丸まで来たものの天守門は本丸より高い天守曲輪にあり、樹木が邪魔で本丸からはちゃんと外観を撮れる場所は無かった。おまけに門前のスペースもほとんど無いため、逆にアップでしか撮れないというジレンマ状態。


天守門内側
天守曲輪に入って内側から門を見ると、まさに城門な感じがして良いが、野面積みの石垣に対して立派過ぎる気もする。


天守門
天守門は内部を見ることが出来るが、天守とセットの入場券が必要なため、天守閣に登る予定が無い場合には割高になってしまう。まぁ、大抵の観光客なら天守閣に登って天守門には入らないパターンはあっても、逆のパターンは無いだろうから問題無いと思うが…。なお、画像に見える南側が入口で、北側からは入れないので一応注意。


浜松城模擬天守
画像は鉄筋コンクリート製の模擬天守閣。実質的には展望台であるが、地下にある井戸などは当時の天守閣の構造的にそれなりに見所である。


天守遠景
天守門の外観が綺麗に撮れる箇所を探して縄張り一帯を散策してみたが、結局これといった場所は無かった。パンフレット等の写真は恐らく市役所の庁舎から撮ったものだろうが、庁舎に展望台は無かったため確認は諦めることにした。