3月29日桜紀行・身延編その1(山梨県身延町)2009年04月02日 23時58分43秒

鏡圓坊の桜
3月最後の日曜日に桜を求めて山梨県の身延まで行って来ました。

【鏡圓坊】

身延山を目指して移動してる途中で立ち寄ったのが、南部実長を開基とする寺院の鏡圓坊で、元々は南部実長の居館だったが波木井城に居城を移した後に館跡の縄張りの一部に寺院を建てたのが始まりだという。なお、居館跡は寺院より西側の山の中腹にある。

正直なところ身延山の桜が目当てなため、ここは南部氏ゆかりの場所ということで立ち寄っただけだったのですが、思いのほか桜が綺麗でなんとも嬉しい誤算でした。まぁ、観光客よりもカメラマンが圧倒的に多かったので地元ではそれなりに有名な場所なんだろうと思いました。

お寺としては小さなほうですが、桜は比較的に多く、さりげなく休憩場所やお茶を用意していたりしてなかなか気持ちの良いお花見場所でした。

3月29日桜紀行・身延編その2(山梨県身延町)2009年04月03日 23時53分13秒

南部実長公の墓所と枝垂桜、背後に見えるのが南部氏館
【南部氏館】

南部氏館跡へは南部実長公の墓所の横から登ったが、途中に倒木があって微妙に登りにくかった。少し登るとやや広めの空が開けた郭跡に出たが、どうやらここが発掘調査で建物の跡が発見された場所らしい。微妙に窪地があったり、石が固まって置いてあったり、祠があったりと気になる部分はあったがイマイチどうゆう役割の郭なのかは判断できなかった。

堀底道のような登り道を登るとさらに郭があり、山の中腹まで数段に渡って郭群が形勢されていた。今でこそ竹林の混じった雑木林だか、林内には妙な果樹の跡や、近代の水道?のような跡、そしてガラスや空き缶(今では絶滅危惧種の細缶)が散乱していたため、植林される前は何かの畑や小屋があったのではと思われる。

遺構としてはやはり山の北斜面中腹に展開する郭群が良かったが、それでも一番印象的だったのは西側の竪堀で、特に横掘(堀底道?)が交わる箇所が崩落を起こして深くえぐれているのがなんとも言えない光景だった。

3月29日桜紀行・身延編その3(山梨県身延町)2009年04月04日 00時40分32秒

身延山久遠寺三門
【身延山久遠寺】

波木井川と支流の身延川の分岐点近くに久遠寺の総門があり、総門の先の身延川沿いの渓谷には門前町が形成されていてこの日はかなり大勢の観光客で溢れていた。山奥の川の両脇に山が迫る回廊のような狭い地形にこれだけの賑わう門前町があるのだから、さすがは日蓮宗の総本山といったものか。

門前町を抜けた先には思いのほか巨大な三門があって少し肝を抜かれたが、その先の参道の287段の階段にさらに驚かされた。別の道(坂道)や裏側に回ればリフトも運転しているようだったが、生憎自分は寺社仏閣は必ず正面の参道を登ると決めているため、ぜぇせぇ言いながらもなんとか登り切りました。おかげで本堂に着いた時には足腰がフラフラになりましたが・・・(苦笑)

本堂に参拝した後は目当ての枝垂桜を見て回りましたが、境内には数本の大きな枝垂桜の木があり、本命の桜には及ばないながらもなかなか綺麗で良かったです。また、境内西側から見た谷に広がる桜達も満開で、こちらもなかなか良い眺めでした。

3月29日桜紀行・身延編その4(山梨県身延町)2009年04月05日 00時08分35秒

身延山山頂から見た富士山
【身延山山頂】

久遠寺よりロープウェイに乗って身延山の山頂まで登ったが、このロープウェーがなかなか長くて少々驚かされた。久遠寺の場所が海抜370mくらいなので身延山山頂1153mまでは実に800mに近い高さを移動しており、徒歩なら2時間かかる山登りを数分でやっているのだから凄い。さすがに800mの比高差だけあって山頂は麓より寒く、手袋をもっていかなかったらまともにカメラを構えていられないほどでした。

身延山山頂には奥の院である思親閣があり、土塁に囲まれた本堂は、境内を取り囲む杉の巨木のおかげで山頂に居ることを忘れさせてくれるほど落ち着いた空間だった。また、山頂だけあって展望台からは周囲の山々が見渡せ、ロープウェー乗り場からは富士山の山頂がハッキリと見えていたのが印象的だった。ただ、ちょうど団体客も着ていたためロープウェー乗り場には行列が出来ており、下山まで1時間かかったのには疲れさせられた。(特に建物から溢れて外に並んでる時は寒くて寒くて・・・)

4月4日桜紀行・小山編その1(栃木県小山市)2009年04月06日 23時23分07秒

北側の最大の空堀と桜
4月に入りいよいよ関東も各地で桜の見頃を迎えたので、4日は日帰りで栃木県の小山まで北上してきました。

【祇園城】

小山市街地西部の川沿いの丘に祇園城跡があり、ここが城山公園として小山市内最大のお花見場所となっている。本丸から北に続く連郭式の郭部分が公園となっているが、丘の東側の外郭部分は残念ながら大部分が住宅地となっていて、遺構はほとんど見られなかった。

本丸跡部分はかなり広く、大勢の花見客が桜の下で宴を開き、出店も数件ほど出て賑やかだったが、空掘を挟んだ二の丸跡部分も子供らの遊技場で別の意味で賑やかだった。

逆に北側の駐車場や民家のある郭周辺は静かで、北側の大きな空掘の場所に至ってはたまに散歩の人が通る程度だった。空掘はかなり広い空き地になっていて、堀沿いの斜面には桜も咲いていたが、花見客が全く居なかったのは恐らく私有地か何かなのだろうか・・・。